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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

バーコードバトラーの盛衰

バーコードバトラー」というゲーム(ゲームマシン)があった。現在20代前半の男性は知っているのではないかと思う。身の回りのバーコードを戦士に見立てて戦うというもので、バーコードをカードリーダに通すとそれが「生命力」「攻撃力」「守備力」と数値化される。そして交互にに攻撃ボタンを押して生命力が0になったら負け、というシンプルなゲームだった。
このバーコードバトラーの面白さは、周囲に溢れる情報がそのままゲームの世界を生み出す点にあったといえるだろう。例えばコアラマーチは強い、チョコボールのアーモンド(当時あった)はまぁまぁ、といった具合で、情報の差異こそがキャラクターの差異であった。
そして、その「強いバーコードを探す」という行為こそが人気だった理由のひとつだと私は思う。私も毎週末スーパーや商店街に行ってバーコードを一つ一つチェックするというマニアックな思春期を過ごした。強いバーコードは一目見ればわかるので(強さはバーコードの数値と関連性があるからだ)、見つけたときはまるで宝物を発見したような気分でレジに向かったものだ。
そういえばもう3年ほど前だろうか、大学の先輩が就活でバーコードバトラーをつくったオモチャ会社「エポック社」を受けた。その先輩も小学生の頃バーコードバトラーにはまった一人として、「バーコードバトラー3をつくりたい」と私に話してくれたのだが、残念ながら先輩はエポックには受からなかった。しかし考えてみれば、バーコードバトラー3を、という声はあるのだろうが、昔のシステムを踏襲したのでは絶対ヒットしないと思う。なぜなら情報の差はインターネットで簡単に埋められるからだ。例えば「○○のバーコードが強い」という情報はすぐに伝播してしまい、そうなるとみんなが同じものを手に入れて戦うことになる。それだとちっとも面白くないのだ。当時はまだインターネットが普及していなかったが、一部の全国大会の常連は手紙などで情報のやり取りをしていた。バーコードバトラーの全国大会が終わりブームが去ったのが確か、1995年だった。ウィンドウズ95が発売されネットが普及し、流行語大賞が「インターネット」だったのもこの年である。バーコードバトラーは去るべくして去ったといえるのではないか、と今になって思う。