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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

ぶらり旅

帰省先が松山だからだろう、東京(今は神奈川だが)からの帰り、あるいは東京に戻る際にはどこかに寄り道をしたくなる。関東に住んでいて帰省先が山梨や静岡ではそうは思わないだろう。飛行機ですぐに帰ってしまうのも楽でいいが、一気に現実に戻る気分がするのだ。
そういうわけで、道後で少し飲んだ後、松山発の夜行電車へ乗り込む。
しかし、だ。電車の中ではバカみたいに寒い冷房のせいでちっとも眠れやしない。これこそがエネルギーの無駄、どんな神経してるんだよ、と腹が立つ。こういう押し付けがましい(のかどうかは知らないが)ものが好きではない。故郷を離れる感慨に耽る間もなく、眠れもせず。間もなくグリーン車に逃げ込む。なんだかJRに負けた気分で悔しい。
そうして着いた先は京都だ。久し振りに降りた京都駅。新しい(そこまででもないが)駅のトイレは臭くなく、汚れが少ないので洗面をするにも気持ちがよく、無条件にいいなと思ってしまう。京都駅がその大きさゆえに景観論争にさらされていようがいまいが関係ない。建築を修めてきたとはいえ、こういうところは建築の良し悪しにかかわらない。体はえらく正直だ。
京都は上京してからでも三度訪れたが、街並みや風景が新鮮に映るのは、多分以前訪れたときから三年ほど期間が開いたからだろう。ぶらぶらし、たまたま目にした京都の高松伸さんの建築は、いつの間にか理解に苦しむ存在になっている。以前はガンダムとか言って喜んでいたのに、だ。訪れる度に新たな発見。発見の更新。そして、その三年の間に自分にあっただろう変化にはっとする。恐らくその変化は建築や都市に関する考え方や感じ方に限ることではない。自分の知りえないところで何かがいつの間にか変わっている。あるいは他人も知りえないところで。このことは、小さい頃うまいと思って食べていたうどん屋のうどんが、少し成長して口にするとそれほどでも無いと感じることとそれほどずれてはいないだろう。