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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

kinbi

先日、久しぶりに鎌倉の「神奈川県立近代美術館」に行ってきた。
コルビュジエの下で学んだ坂倉準三の設計、1951年竣工、モダニズムの名建築。
外壁に使用されたアスベスト。これは当時の状況下では適切な選択だったのではないかと思う。
戦後の材料の事情も大きいだろうが(この辺はよくわからない)恐らく、工業化、プレファブ化…そのあたりが目論まれているように思う。それはコルビュジエのところで学んだモデュールの考え方とも合致する。

ついでに50年代前半の建築家による住宅建築をみてみる。1950年代の小住宅ブームのメモ。
・立体最小限住宅/池辺陽/1950年
・最小限住宅の試作/増沢洵/1952年
・SH-1/広瀬鎌二/1953年
・私の家/清家清/1954年
軽量鋼材の量産とそれによる住宅産業が興るのは60年代に入ってから。

あと、近美のバックスペースにある建築(物)が気になったんだが、これも坂倉?

ただのハコと言い切ってもいいが、植栽のあるところの壁を低くしていたり隅を丸く仕上げていたりと、どことなく設計者のデザインの意図を感じるのだが。

27日追記
難波さんの25日の日記。ちょうど話の参考になると思ったので引用。
難波和彦+界工作舎 http://www.kai-workshop.com/diary/diary.cgi

1960年代までは、住宅生産の近代化(工業化・部品化)がライフスタイルの近代化(モダンリビング)と並行して進んでいた。住宅生産の工業化と生活の合理化は、近代化というヴィジョンの中に暗黙のうちに統合されていたのだといってよい。しかし1970代に始まる住宅の商品化(ハウスメーカー)の中で、両者は急速に分離していった。消費社会においては、工業化・部品化というテーマは背景に退き、商品化住宅はポストモダンな衣装をまとうようになった。これに対して「箱の家シリーズ」は、生産とライフスタイルを一体化している点で、工業化・部品化の当初のヴィジョンを反復しているように思える。しかし「箱の家シリーズ」におけるライフスタイルは、戦後モダニズム住宅におけるようなポジティブなライフスタイルではなく、個人化し緩やかな共同体になったフィクショナルな家族ゲームというライフスタイルではないかというのが僕の仮説である。