修善寺、新井旅館
夏。伊豆は修善寺を訪れる。修善寺は源範頼、頼家暗殺の舞台であり、江戸〜明治期からその上に温泉場としての歴史が重ねられている。修善寺の温泉街の中心あたりを歩いていると塔屋が顔を出しているのが見えたので、これはと思い訪れてみると修善寺老舗の旅館であった。
この「新井旅館」は明治時代の建築であるようで、登録有形文化財に指定*1。当時は旅館としてではなく湯治のために長期間、自炊して泊まるようなかたちをとっていたらしい。また館主の人脈から、横山大観、前田青邨、高浜虚子など数々の文化人が宿泊し、物書きをしたりしたようでもある*2。敷地内には棟が点在し、その間を庭園・池がつないでいる。
「塔屋」は明治頃の建築を示すある種の記号(≒流行)といえるのだろうが、今でいう高層建築のようなものだったのだろうと当時を想像する。それは、建てた者の財力や権力、あるいは「粋」を示すためかもしれないが、そうして様々な人が考え、隅々に意匠を凝らしてつくりあげたものが今日もなお人の心をうつということにはいつもはっとさせられるものがある。