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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

「江戸の地割りが生きている」

都市

前回のエントリの続きみたいな感じですが。
ヤフーの地図情報で「古地図で東京巡り」が限定公開中。スクロール地図上で江戸・明治・現代と時代を変えて表示できる(航空写真もある)のだが、これがなかなか面白い。
多くの大学や官公庁、あるいは大規模ビルの建つ大きな土地には江戸の頃から屋敷が建っていた、ということは書籍等で見聞きしていたことだけど、江戸の地割り等が現代まで生きているんだなあ、としみじみしながら地図上で追認。例えば現在の港区虎ノ門あたりはこんな感じなんだけど、

江戸だとこう。

やはり、霞ヶ関ビル、総理大臣公邸・官邸、虎ノ門病院〜国立印刷局といった大きな建物の建つところには大きな屋敷が建っていたわけだ。また、虎ノ門の地名の由来が江戸城の外廓門の名前からきていることや(地図上では「虎御門」とある)、現在の溜池辺りがまさに「溜池」であったことなども分かる。imageではちょっと分かりにくいけど、今「自転車会館」のあるところがかつて馬場だった、なんてのも軽くトリビア

それにしても「江戸の地割りが生きている」ことを前提とすると、土地を合筆*1して再開発する、ということがここ数百年の歴史上でも革新的なことなんじゃないかと思ったりもする。

3/25までの限定公開らしいけど、ずっとやってくれないかなあ。東京以外の他の都市も加えて。


江戸地図を読み解くにあたり、このへんもメモしとこう。

上屋敷
藩主とその家族の居所。道を隔てた反対側にある「向屋敷」もあった。登城の便から江戸城の周辺に配置され藩役所の機能も持った。
下屋敷
隠居所または世継ぎの居所。また上屋敷の修理や被災の際の避難所。側衆・大番頭・留守居役のような幹部にも一代を限り2ヶ所に与えられた。多くは郊外にあり、別荘や庭園として使われた。

中屋敷
大藩が持ち、参勤交代の家臣の宿舎などに当てられた。
添屋敷
それぞれの屋敷の付属建物を添屋敷といった。
蔵屋敷
米穀や国元の産物を貯蔵した。倉屋敷ともいった。
抱屋敷
武士・寺社・町人が百姓地を購入することがあり、これを抱地という。そこに建てる家屋をいった。
大縄地
下級武士の宅地は職務上で同じ組に属する者がまとまって屋敷地を与えられたが、これは土地を一括することから大縄地・大縄屋敷といわれた。
町並屋敷
大奥女中・医師・絵師・坊主・能役者等に給与し、彼らは町人に貸して地代を収めた。武家地としては異例。
*2

*1:複数の土地(の登記)を一つの土地にまとめること

*2:参考 http://www.token.or.jp/magazine/g200307/g200307_2.htm