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mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

諏訪湖から松本へ

茅野からほど近くの諏訪湖伊東豊雄諏訪湖博物館・赤彦記念館をひやかした後、松本へ。部屋にテキトウに転がってきたCDケースを持ってきたが、中には高校の頃に聴いていたCDが入っていて、懐かしさを感じながらひた走る。
茅野から国道を通り約90分で松本に着く。夕方になったのでホテルにチェックインし、 縄手通りなど市内中心部をぐるぐる歩いた後、辺りに飲みに行く。馬刺を出す店が多い。馬刺、いなごの佃煮などを日本酒とともに食しいい具合になったので寝る。


起床して、松本市美術館(設計:宮本忠長、2002年)へ。入ってすぐのところに草間彌生の「幻の華」が。

草間彌生って松本出身だったのか…などと思いながら展示を見る。20代の頃の作品が見られるのが嬉しい。少女の頃から幻覚や幻聴を描きとめたというが、水玉というかドット状のモチーフが今日まで一貫しているよう。

設計した宮本忠長さんは長野に腰をすえて活動する建築家。伝統や風土を重んじながら建築を創造し、建築だけでなく各地の街並みの「修景」などにおいても活動している。
松本市美術館は竣工してまだ5年だが、木々が生い茂りつつある。黒い外壁はやはり松本城からきているのだそう。エントランスの脇からそのまま通り抜けられるその先には中庭が設けられ、住宅地との境界には低いボリュームが配置されている。

タウンアーキテクトとかローカルアーキテクトとかいう言葉があるが、宮本さんはその代表といっていい。ただ、ここのところの隈研吾さんの建築などが挙げられるが、建築家の仕事もこうした風土や伝統などをデザインに盛り込む傾向にあるように思う。だから、宮本さんの仕事も私自身はさほど特殊であるようにも感じられなかった。どうなんだろうな。素材とかディテールとかだけでなく、そうしたデザインの根底にある思想みたいなものが問われるのではないか。風土や伝統を取り込んだデザイン、というのは歓迎すべきもののように思えるが、風土や伝統さえも、ある計画を正当化するためだけに用いられかねない、いやむしろそうした傾向にあるのではないか、と邪推してしまう。もしそうだとすると、一市民としての立場からすれば、私たちはかなりシビアな視点を持たなくてはならないだろう(いや、そんな専門的なことをどれだけ求められようか?)。

その後、すぐ近くのまつもと市民芸術館(設計:伊東豊雄、2004年)へ。

ホールや劇場というのは、そこでの公演などを目にしないとなんともなあ、という感じではある。


松本城を訪れた後、城の前でせんべいを購入し、かじりながら歩いて開智学校(設計・施工:立石清重、1873年)へ。松本へ来た目的の7割くらいはこれ。

1873年(明治6年)竣工。漆喰の擬洋風建築。これは立派なもんだ…。唐破風の下でエンジェルが舞っていたり、龍の彫刻が見られるなど、装飾も凝っている。

どうやら愛媛の開明学校、静岡の岩科学校と姉妹館提携をしているらしい。
日本の近代建築はコロニアルから、開智学校を含む擬洋風(木骨石造→漆喰→下見板)を経て、様式的な歴史主義建築へと遷り変わる。擬洋風で多いのが漆喰のものだろう。すぐ隣にある司祭館は1889年のもの。こちらは下見板、ベランダ、鎧戸などコロニアル建築の特徴がよくわかる建築。ううむ、勉強になります。

写真にはないけど、北側のベランダ(サンルーム)が快適そう。この建築も開智学校と同じく移築だそうだが、元々は南側を向いていたのではないだろうか。