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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

伊丹十三記念館、宮本信子さん

伊丹十三記念館(設計:中村好文/レミングハウス、2007年)を訪れる。

詳細は「建築マップ」にアップしたので、ここでは訪れた際のエピソードなんかを綴ろうと思う。

建築マップ 愛媛県 伊丹十三記念館

今日あらためて思い返してみて自分でも意外だったのは、これがコンペじゃなくてよかったな、と思ったこと。コンペのお題としては敷地も悪くないし、伊丹十三という人物の面白さもあいまって、面白そうな状況が想像できる。しかし訪れてみて、館長であり故・伊丹の妻でもある宮本信子さんがこの記念館を(建築も含めて)いたく愛していることに気付いた。伊丹十三を今でも愛している、そしてこの記念館は伊丹の分身のように思われているのかもしれない。他の案だったら、とオルタナティブを想像するのもそれはそれで楽しいのだが、そうしたことを考えて、あらためて消費されるだけの建築にならなくてよかった、と思った。自分が育った地域だから、という理由も大いにあるだろう。自分の育った地域をただゲームとして消費されなくてよかった、という安堵感からくるものもあるかもしれない。

もちろん、コンペを通してできた建築で、今日も地域に根ざしているものは少なくないだろう。例えば藤沢市湘南台文化センターのコンペの記録をみると非常に白熱したコンペのひとつであったことが読み取れるし、できあがったものも今見ると凄まじいものがあるが、それでも地域に根ざした建築として存在しているように私には思えた。ほかにも、せんだいメディアテークにおけるコンペの功績はいうまでもない。

この記念館はコンペによるものではない。いわば特命である。この記念館は四角形のボリュームに中庭があるだけの非常にシンプルな建築だが、コンペでは選ばれない建築だろう。しかし、だからこそ、時代を超えて残るような普遍性を持ちうるとも思う*1
と、ここまで考えてみて思ったのは、この記念館は伊丹十三の家なんだ、ということだ。ここまできてお粗末な結論ではあるが、このように感じたのは、館長の宮本さんの来館にあわせて訪れたせいであることは否定できない。
「あなたずっと外から見てたでしょ!建築見に来たんでしょ?素敵な建物でしょう?」
そう話しかけてくださった宮本さんからは、うまくいえないけれど、伊丹やこの記念館への愛情が滲み出しているように思われた。
宮本さんがいらっしゃらないときに訪れれば、それはそれでまた違った印象を受けたに違いないが、建築を訪れてこうした思いを抱いたのは珍しい貴重な経験だった。このような経緯もあり、私は、美しい建築だと思った。

*1:このへんのコンペの話は、公共建築(=市や県が発注するもの)かどうかということにも大いに関連すると思うが、壮大な話になり収集がつかなくなりそうなので、ここでは書かない。なお、この記念館は私設のもので、いわゆる公共建築ではない。