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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

横浜うろうろ記(1)

横浜・関内あたりをうろうろした記録。何か書こうと思いつつ、まとまらなかったものをつらつらと。

石井和紘さんが設計した「同世代の橋」(1986年)。上から、相田武文さんと安藤忠雄さん。石山修武さんと伊東豊雄さん。象設計集団、長谷川逸子さんと高松伸さん。毛網毅贖さん、六角鬼丈さん、葉祥栄さん、渡辺豊和さんと故・木島安史さん、ということらしいけど、これって五十音順に建築家を並べてるんだな。木島さんは「YAS都市研究所」で。
えーと、「反住器」、「幻庵」、「54の窓」…玄関のライトは「塚田邸」の根っこ?上のほうはよく見えないので分からない。少し欠けているような…と思うと渡辺さんの「オッパイ」があった1階外装は改装してるみたい。


多摩美術大学大学院美術研究科デザイン専攻の『諸_芸術展』@ZAIMへ。(終了しています)http://gs.idd.tamabi.ac.jp/sho_geijutsu/
個人的に面白かったのは森浩一郎さんのインスタレーション。天井からつるされた「画家エミュレータ」を使って絵を描くというもの。

ここに詳細があった。音に反応してグルーを押し出していくのだそう。建築でいうと松川昌平さんみたいな感じかなあ。
http://moxuse.org/moxuse/project/chr_nw.html
恐らく作者の意図は無いと思うけど、この押し出された糸のような絵の具が、以下にみるような横浜の生糸の歴史と重なり、(後で気付いたことだけど)そうした批評性を有しているものとして捉えられ美しく思われた。

建築に話を移すと、ZAIMは次のような変遷を辿っている*1

昭和 3年(1928) 日本綿花(株)横浜支店として創建
昭和20年(1945) アメリカ軍に接収され、物資集散拠点として利用
昭和29年(1954) 国によって買収
昭和35年(1960) 事務所棟が関東財務局の建物に
昭和39年(1964) 倉庫棟が労働局庁舎に
平成 5年(1993) 関東財務局・労働基準局が第2合同庁舎に移転
平成 9年(1997) 地方裁判所建て替えに伴い仮庁舎として利用
平成15年(2003) 横浜市が取得

で、この後、平成17年(2005)に横浜トリエンナーレ2005の事業拠点「ZA-IM[ザ・イム]アートプロジェクト」として使われ、平成18年〜20年3月末(2006〜2008)にZAIM[ザイム]として使われる。で、今年(2008)の9月から11月末まで横浜トリエンナーレが行われる。

その後、中華街まで歩き、横濱媽祖廟参考)を見たり中華粥を食べたりした後、シルクセンター(設計:坂倉準三、1959年)へ。

数年前、アフリカに行く際にここで予防接種を受けた。「横浜港における生糸・絹産業及び貿易の振興並びに観光事業の発展を目的とした施設」(引用:wiki)だそうで、そういえば横浜は開港以来、主生糸を主要な輸出品としていたわけだ。さっき挙げたZAIMも、元「関東財務局」が名前の由来だろうけど、元はといえば「日本綿花」という紡績系商社の支店である*2。そう考えるとオリジナルの日本綿花からもってくるべきなんじゃないか、と思って「menca」なんてネーミングもふと思いつくのだけど、SUICAなんかの今っぽい流れでやっぱりだめかな。そういえば馬車道に帝蚕倉庫なんてのもあるし、こういうものをみていくと、横浜−生糸、という歴史がこれら横浜の近代建築を通して見えてくるのだけど、一般には全くといっていいほど知られていないのだろう。私自身、数年前にシルクセンターを訪れて初めて知ったわけだし。
建築に戻すと、誰もが思うのだろうけど、丹下健三香川県庁舎を思い出す。香川県庁が1958年、シルクセンターも同時期に建てられた建築である。少し調べてみると、高層部は以前「シルクホテル」というホテルだったらしい。

その後、山下公園をふらふらして、シーバスに乗ってみなとみらいまで。

出発してすぐ、foaの大さん橋の周りをぐるっとまわる。少し走るとすぐみなとみらいに着く。

みなとみらいのスカイラインはデザインされた産物。遠景のデザインされた都市。ビル群のたもとでは観光客が写真をぱしぱし撮っていて、ここまで被写体になるオフィスやホテルといった高層ビルというのは、日本だと他には森タワーくらい?

*1:http://za-im.jp/php/modules/info/rewrite/tc_10.html より。西暦はこっちで加えた。

*2:これは双日のルーツですね。