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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

ROUND ABOUT JOURNAL vol.3 特集「都市ビューティ革命」(2)


「ROUND ABOUT JOURNAL vol.3」について、前回(参考)の続き。以下の3つのインタビューについての感想。

  • 勝矢武之「深層から建築家の立場を考える」
  • 伊藤暁「『キティちゃん』問題――複数の作家性が並列可能なプラットフォームをめざして」
  • g86「冷静と情熱のアーキテクチャー」

日建設計の勝矢武之さんへのインタビューは、表層的には組織×アトリエという面白い構図。
藤村さんは「批判的工学主義」の有効性や可能性を論じ、勝矢さんはそれに対して問いかけを行っている。この記事は「勝矢さんへのインタビュー」なのだが、実はこのインタビューを通して最もあらわになってくるのは、藤村さんの考え方や批判的工学主義という概念についてだと思う。そうしてその概は念の可能性や方向性を読み解くきっかけとなっているところが、このRAJ vol.3の中でも最も興味深い内容のひとつであるように思った。

伊藤さんと藤村さんのメール対談では富弘美術館の「サークル・プランニング」を通じて建築設計の「深層」(=藤村さんのいう「メタ設計」?)について、またその深層に共感しつつもモノの魅力に惹かれる、という葛藤についてのやりとりが記されている。

続いて東工大の学部3年生3人から成るg86へのインタビュー。g86のブログ形式で綴られるインタビュー(参考)は私自身もチェックさせていただいていて、というのもたぶん関心の所在が共感できるからだと思う。このvol.3の中でも注目し、また議論の余地がありそうなのがインタビューで山道さんがさらりと「僕らとしては、その経済の論理というのを味方につけてしまうというのがいいと思うんですけどね」というところ。
建築に関する議論や批評というのは、同時代性というのもあるけど世代的な問題や関心の所在というのが大きく関わってくるのだろうと思った。なお、藤村さんが1976年生まれ、g86は名前のとおり1986年生まれ。私はというとちょうどその中間で、なんだか、どちらの興味関心についても分かる気がする、という言い方は一番卑怯かもしれないなあ。

これらRAJ vol.3で触れているところについて自身の問題としてわかる気がするのは、自身も設計活動からは離れたとはいえ、というか離れた遠因のひとつにRAJで触れている(ことの根幹にある)ような事情があるからこそ*1なんだろうとあらためて思う。これまで当ブログでも触れてきた、今回の話題に関連性がありそうなものについてまとめてみた。
建築的、不動産的―MVRDVのGYRE(2007年11月)
TOD'S 表参道の「強度」―表層建築と建築家の領域(2006年12月)
日本橋の景観について(2006年1月)
建築家は敷地の外で戦えるのか(2005年11月)
私見を申し上げると、「深層と表層」だけでなく、今日建設(建築)業界で様々に取り上げられる「景観問題」「歴史的建築の保存問題」「耐震偽装」といった話題は、似たような構造の下(あるいは影響下)にあるように思っている。それが何かってあえて言うことも無いと思うし実際は果てしなく複雑なんだろうけど、私自身はそうしたことについて考えてみたいし、当事者としてどのように関われるだろうか、とも模索してみたいと思う。だから、藤村さんや多数の方がフリーペーパーという形で世に問うた今回の(これまでの)出来事はただ「建築メディア」という事象にとどまってほしくないと思う。

*1:設計から離れるとなんだか「負け」みたいな、そういう風潮とかも含めてどうなんだ?って思うこともあるけどね。ひょっとしたら最近は事情が変わりつつあるようにも思うけど。