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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

マッカーサー道路の落としたもの―虎ノ門NNビル

東京・虎ノ門に、槇文彦さんが設計した虎ノ門NNビルというビルがある。(設計:槇文彦、1981年)

この建築の平面は五角形になっている。道路に対して、交差点に面する一部が大胆な隅切りになっているためである。

近くに寄ってみると、隅切りの部分は低層に抑えられ、段差が生じているのが分かる。このような建築は都内の様々なところで見られるが、吉村靖孝さんの『超合法建築図鑑』では、これと同じような建物を取り上げて次のように説明している。

計画道路に指定された部分に建てることのできる建物は3階以下、10m以下、地階がないなどの条件があるため、それ以外の部分との間に段差を生んでいるのです*1

虎ノ門NNビル」の場合もこれに当てはまる。幅員40mの、いわゆる「マッカーサー道路」が計画されているためだ。新橋〜虎ノ門を繋ぐこの道路は環状2号線の一部であり、同時に再開発も計画されているようだ。(地図の青い部分が道路と再開発地区)
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航空写真を見ると、NNビルのすぐ前を道路が横切り、再開発地区と道路とに挟まれた格好になっているのが分かる。新橋から虎ノ門桜田通りにかけては街区に沿った形で直線に道路が計画されているが、桜田通りを挟んで溜池に抜ける間では道路が街区を斜めに横切っているため、こうした建物が生み出されているのである。

このNNビルから少し歩いてみると他にもこのような光景が見られる。この無名なビルのメインエントランスは写真の逆側に位置するが、将来を見据えてなのだろうか、本来裏側に当たる側の足元のデザインが左右対称的に作られている。

もう少し引いて見てみると、道路に当たる土地は駐車場になっていたり、低層の建物が立ちつくすかのように残っている。
再び話を虎ノ門NNビルに戻すが、この建築が建てられたのは1981年のことだ。今年で27年になる。Wikipediaによれば、マッカーサー道路は戦後に計画され、2003年に事業化し、2005年に着工。2009年度の開通を目標に建設が進められているという。つまり、この建築は30年近く前から道路の建設を待っていたといえる。この建築は槇さんの手にかかったという点で、私のような建築学生を経てきた人間にとってはこの道路の話に絡む象徴的な建物と捉えられるのだが*2、この建築だけではない多くの建物や土地が長年に亘り、今か今かと待機し続けているのだろう。
不動産としての側面からすれば、数年で建てられては壊されてゆく建築が数多くある中で相当な利益が寝かされてきたといえるのだろうし、立ち退きを拒む側からすれば、それだけ長くの間、不安が付きまとう日々を過ごしてきたのかもしれない。そうした多くの思惑や拒否反応がせめぎ合いながら、計画はここまで着手されないまま時間が過ぎていったのだろう。当たり前のことといえばそれまでなのだが、都心に道路を計画するということはこういうことなのだ、ということをこれらの建築から見て取れるように思えた。

これを書きながらHASYMOの曲を聴いているのだが、CDを手に取ると、ジャケットの航空写真に虎ノ門地区が少しだけ写っていることに気付いた。

(画像:Amazon.co.jp http://www.amazon.co.jp/City-Light-HASYMO/dp/B001AWPZ2U より)
あらためて収められている曲を確認すると『The City of Light / Tokyo Town Pages』の2曲だった。できすぎた話かもしれない。

*1:吉村靖孝『超合法建築図鑑』pp-28-29,彰国社,2006年

*2:これは自分だけかもしれないけど。