松山、港町の記憶−三津駅の取り壊し
松山に帰省して、松山の海の玄関口・三津浜を歩いてきた。
四国の一都市、松山と聞くと、海を想わせるものもあるかもしれない。しかし、現在の松山の町は城下町を下敷きにして発展してきた。そのため、海沿いはあくまでも松山市郊外のひとつのエリアとして認知されているように思う。松山の海沿いの町。その一つが三津浜地区である。
三津浜(三津)は古くから開けた港町だ。ここは漱石が松山に英語教師として赴任したときに降り立った場所であり、また様々な人物を送り出してきた。松山の私鉄・伊予鉄道が敷設されて、1888年、三津浜にいち早く駅が開業したことからも、この地が重要な場であったことがわかる。
古い木造の建築物。これが三津駅の駅舎である。一説によれば昭和初期のものであるそうだが、定かではない*1。実はこの駅舎はつい最近、壊されて無くなってしまった。訪れた日にちょうど取り壊しが始まり、たった数日で無くなってしまった。訪れたときには既に正面ファサードの一部が壊されていた。
8月18日から本格的な取り壊しが始まった。足場の木材を積んだトラックが入っている。
取り壊しの様子。
ホームは通常通り使われている。いつの間にかICカード式に変わっていた。
*2
この取り壊しについて、地元の住民もただ黙って見ていたわけではなく、運動もあったようだ。しかし結局取り壊し建てかえることになり、駅舎が壊される約2週間ほど前の8/2・3には『三津駅舎さよならパーティー』が行われた。10月には水葬式の舟送りが行われるそうだ。
三津浜を歩いているとちょうどお昼の時間になったので、さよならパーティーの会場となったカフェ・レストラン「FLOR」に立ち寄ってみることにした。三津駅と三津浜港とを結ぶ「三津浜商店街」、その駅側の入り口にあるお店だ*3。
パスタをいただいた後、お店の徳永さんに少し話を聞いてみた。徳永さんは駅舎関連の活動に直接的に関わっているわけではないそうだが、お店の一角にはビデオカメラが置かれ、外から見ると「三津駅観測中」と書いている。聞くと、後で解体の様子を編集して発表するのだそう。建替えについては、地域の様々な人と話をしたそうだが「地域の人が関心を持たないのは残念」と仰っていた。