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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

村上徹・比治山本町のアトリエ―「広島風」建築を思う


「比治山本町のアトリエ」(設計:村上徹、1999年)を訪れた。比治山の足もとに構えられた、建築家・村上徹のアトリエである。広島に行くたびに訪れているので、恐らく5回目になるだろう。
コンクリートの箱の内部は、少ない部材で納められた純粋な空間が広がっている。うまく表現できないが、透き通った、背筋のピンとするような空間とでも言えば少しは伝わるだろうか。
村上さんの作る建築は、余計なものを限界まで削ぎ落とすことで物質そのものに向かっていく、知覚に働きかける建築であるように思う*1。このような「純粋性を極限まで追求するスタイル」というと、ともすればSANAAをはじめとする現代建築が想起されるが、それらの建築とは似ているようで、全く異なる指向性を伴っているように思う。90年代末頃から見られるこれら(SANAAによって代表されるような)多くの建築では、建築の形式の純粋さを表現するために、抽象性が必要な手続きとして捉えられたのだろうが、村上さんの建築のもつ魅力は、そうしたものとはまた違うところにある。抽象性の目指すところが空間それ自体に向けられているからだろう。それは残念ながら、写真や文章ではなく、実際に訪れることでしか感じることができない。このアトリエを何度も訪れてしまうのには、そうした理由があるのだろう。
広島を中心とする現代建築には、東京の、言い換えればメディアの先端をゆく建築とはまた異なる独特なスタイルがあるように思うが、村上さんのこのアトリエや様々な(特に住宅を中心とした)建築は、広島の建築文化を牽引し続けてきたに違いない。広島の建築家や建築家を目指す学生は、村上さんの作る建築のもつ独特な感覚、空間のもつ力のようなものを身をもって体験しているはずで、そうしたものが、広島を中心とした建築家の作品にもそれとなく表れてきているように思われるのである。例えば、建築家では三分一博志さん、小川晋一さん、谷尻誠さん、窪田勝文さんらが挙げられるだろう。いずれも高いレベルの建築作品を生み出している建築家であるが、極限まで詰められたディテールなどからは、それとなく「広島風」などと言いたくなるような作風を想起させる。お互いの建築に対して、最も近いところで向き合うことによる相互作用もあるのかもしれない。かつて、広島の建築家が「広島派」と呼ばれたことがあるそうだが、またさらに若い世代の建築家が、広島・瀬戸内地域を中心とした地域独特の建築文化を担いつつあるのだろう*2。そうした新しい文化が芽生え、根付きつつあるこの地のことを興味深く思っている。*3

*1:ここでは住宅を中心とした小規模な建築について述べる。大きな建築はまだ見たことがない。

*2:それより前の世代だと、村上徹さんを筆頭に遠藤吉生さん、岩本秀三さん、宮森洋一郎さんらが挙げられるのだろうか。

*3:広島の建築については次のように書いている方もいらっしゃった。 http://www.nrm-a.com/column/column-0114.html