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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

ハナエ・モリビル−表参道の「建築×ファッション」の歴史を振り返る


ハナエ・モリビル(1978年)

ハナエ・モリビル建替えの第一報
年末から年始にかけて、何度か表参道のハナエ・モリビルを訪れる機会があった。1978年に故・丹下健三の設計によって建てられたこのビルは、昨年にオープン30周年を迎えている。しかし、その前に次のようなニュースも報じられていた。

 07年6月、アンティーク街*1の各テナントに大林不動産から文書が届いた。2010年中のビル建て替えを告げる内容だ。一部改修した設備が老朽化し、10 年〜12年には再改修が必要になるため、ビルを建て替えることにしたと記していた。各店に対して退去や移転の説明を予定していることや、空室が発生した場合には入居者を募集しないことも表明している。
 テナントの有志は08年3月31日付で、ビル保存への協力を求める書簡を複数の建築関係者に送付した。書簡のなかで、ビルの美しく上品な形が気に入っていることや、表参道の街が誇りとする建物であることなどを訴えている。08年中にアンティーク街の30周年記念イベントを開催して、ビル保存の必要性を主張することも検討中だ。
 ハナエ・モリビルの建て替え計画の有無について、大林組東京本社広報室は、「建て替えるかどうかの方針は未定で、方針がいつ決まるかもわからない」と述べた。*2

ハナエ・モリビルは竣工して30年。大きく手を加える時期にきていることは間違いなく、建て替えも当然、選択肢の一つとしてあらわれてくる。ちょうど周辺ではヴィトン、ディオールといったファッションブランドの店舗ビルが建てられ、同潤会青山アパートも表参道ヒルズと姿を変えていた。ハナエ・モリビルの場合はビル自体の老朽化もあるわけだが、2000年代前半から続くこうしたトレンドも視野に入れていたはずである。
しかし、こうした流れの中で起こったのが米国発の金融不安である*3。現在、不動産業界を見るととりわけマンション分譲の専業業者への影響が深刻であるようだが、先日、LVJグループが銀座の「ルイ・ヴィトン」の新規出店を見合わせたことが報じられたように、リテールのマーケットも言わずもがなである。
先の記事によればビルの建て替えの方針は未定とのことだが、現状を鑑みると慎重にならざるを得ないだろう。建て替えの検討の一時見合わせ、というのが妥当なところだろうか?しかし、仮に建て替えが凍結されたとしても、問題は先送りになるに過ぎない。


表参道の歴史と建築
昨年に30周年を迎えた同ビルについて、表参道の歴史とともに振り返ってみたい。
表参道の歴史を振り返れば、1920年明治神宮の創建に伴う「参道」(表参道)の整備に始まりが求められるが、今日の表参道の相貌のきっかけを見せるようになるのは1960年代だろう。国立代々木競技場を会場のひとつとした東京オリンピックが行われ、現在の代々木公園にあったワシントンハイツ(旧在日米軍宿舎)が選手村として解放された。また、表参道の玄関口に建つコープ・オリンピアもこの頃の建築である。

コープオリンピア(1965年)
1970年代に入ると、表参道から根津美術館へと続く「みゆき通り」にフロムファーストビル(1975年)が建てられた。そして1978年にはラフォーレ原宿とハナエ・モリビルが建てられている。これらの建築は、ファッションの中心地として認められるようになった象徴といえるだろう。また、現在GAPの入るt's harajukuができる前に建っていた原宿セントラルアパート(1958年)も、60-70年代の原宿の文化を表す建築であった*4竹の子族が原宿に登場したのもこのすぐ後(70年代末〜80年代前半)の出来事だ。
90年代に入ると、「A BATHING APE」に象徴される裏原系のストリートファッションが裏原宿でムーブメントを起こすとともに、表参道には海外のファッションブランドが展開している。

GYRE(2007年)
そして、ファッションブランドは続々と進出し今日に至るわけであるが、表参道に建つそれらの建築が、妹島和世青木淳ヘルツォーク&ド・ムーロンといった著名な建築家によってデザインされるようになったのは2000年代以降の特徴といえる。結果的に、表参道が建築巡りの対象としても認められる点が、この地の魅力のひとつとなっているようにも思える。そして、その「ファッション×建築家」という流れに先鞭を著けたのが丹下健三のハナエ・モリビルだといえるだろう。


30年を迎えたハナエ・モリビル

4層吹き抜けの空間があり、オープンスペースとして開放されている。訪れたのが冬だということもあるだろうが、賑わいは見られない。

地下1階のアンティーク・マーケットが竣工からずっと存在していることを示す。ここには個人の商空間が並んでいるが、建て替えの話もあってかところどころが空室となっている。並べられた商品はどれも高価でマニアックなものばかりだ。(写真撮影は不可)

アンティーク・マーケットの中ににぽっかりと開いた空間。タイル画は横尾忠則によるものらしい。

5階。現在はフランス料理レストラン「ル・パピヨン・ド・パリ」などが入っている。

レストラン「ル・パピヨン・ド・パリ」内観。写真奥の窓が階段状になっているのが分かる。

*1:同ビルの地下にある骨董品売り場のこと。

*2:引用:ケンプラッツ http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20080509/519627/

*3:サブプライムローン問題の前に建築確認申請の問題が生じていたことも忘れてはならない。

*4:浅井愼平『原宿セントラルアパート物語』に、この時代の原宿の空気がよく描かれている。伊丹十三タモリ寺山修司糸井重里といったクリエイターたちがこのアパートに登場する。