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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

建築と「アーキテクチャ」−濱野智史『アーキテクチャの生態系』


(写真 BUILDING K 日記 より)

"LIVE ROUND ABOUT JOURNAL 2009"で建築界に投げかけられた「アーキテクチャ」という概念


1月31日(土)に、"LIVE ROUND ABOUT JOURNAL 2009"というイベントに行ってきた。

「ライブ編集」というコンセプトのもと、会場にて建築家のレクチャー+インタビュー、その文字起こし、レイアウトなど、取材・編集作業をライブ形式で行い、フリーペーパー『ROUND ABOUT JOURNAL』を即日発行するというメディア型のイベントです。*1

このイベントはこれまでにも行われてきたが、建築に関する議論・批評の最前線を突っ走るイベントとして認知され、運営されている点に私は興味をおぼえている。
感想などは段階的にまとめていきたいが、今回のイベントにおいて重要なキーワードとして浮上したのが「アーキテクチャ」という概念である。
ここでは、そのアーキテクチャについて論じられた、濱野智史さんの著書について取り上げてみたい。本書アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』は、グーグル、ブログ、2ちゃんねるミクシィウィニーニコニコ動画など2000年代以降の「ソーシャルウェア」について、アーキテクチャに着目して論じた書籍である。(なお、濱野氏は今回のイベントにモデレーターとして参加している。)

アーキテクチャの生態系

アーキテクチャの生態系

目次
第一章 アーキテクチャの生態系とは?
第二章 グーぐるはいかにウェブ上に生態系を築いたか?
第三章 どのようにグーグルなきウェブは進化するか?
第四章 なぜ日本と米国のSNSは違うのか?
第五章 ウェブの「外側」はいかに設計されてきたか?
第六章 アーキテクチャはいかに時間を操作するか?
第七章 コンテンツの生態系と「操作ログ的リアリズム」
第八章 日本に自生するアーキテクチャをどう捉えるか?


アーキテクチャとは何か?


では、本書のタイトルにもある「アーキテクチャ」とは何か。ここでいうアーキテクチャとは「建築」の英訳ではない*2。「アーキテクチャ」とは、ローレンス・レッシグの『CODE』の中で論じられた、物事の「規制」に関する概念で、4つある「規制」のうちのひとつである。

1.規範(慣習)
人々の価値観や道徳心に訴えかける規制方法。
(例)教習所でドラマを見せ「飲酒運転=悪」という考え方を確認させる

2.法律
法律による規制方法。
(例)道路交通法による、飲酒運転に関する罰則

3.市場
市場も規制のための一手段として考えられる。
(例)飲酒運転の罰則を高額に引き上げる

4.アーキテクチャ
技術的・物理的に行為の可能性を規制する方法。
(例)自動車に自動アルコール検知機能を設置し、飲酒している場合にはエンジンがかからないようにする

アーキテクチャには、加えて、規制されている側が規制(者)の存在に気付かず密かにコントロールされてしまう(=人を無意識のうちに操作できる)という特徴を持つ。本書では、アーキテクチャのもつこの特徴を肯定的に捉え、積極的に活用していくスタンスがとられている。



ソーシャルウェアの進化とアーキテクチャの生態系

本書では、初めに挙げたようなソーシャルウェアの進化を生態系になぞらえ、その進化の過程を描いている。その進化を概念的に示したのが下のモデル。

アーキテクチャの生態系マップ」(Amazon.co.jpより)

ここでカバーされる領域は、グーグルからニコニコ動画ミクシィ、果てはセカンドライフetcまで広範にわたっているが、例えば「ウェブ→グーグル→ブログ」といった進化については次のように説明されている。
まずウェブ上では互いにリンクが貼り合われるという集団行動が発生したが、グーグルはこれに着目し、自らの検索精度を向上させることに役立て(対するヤフーなどは人の手で優れたウェブサイトを選び出していた)、その後続世代であるブログは、グーグルに検索されやすくなるHTMLを生み出した。このように、後続世代のソーシャルウェアは、先行世代のアーキテクチャ特性を生かし、最適化する仕組みを採用した。
逆に、ブログは面白いものにリンクを貼ることで結果的にはグーグルの精度を高めることに繋がるように、後続世代のソーシャルウェアは、先行世代の効能を高めることに寄与している。つまり、ソーシャルウェアの間には、互いの成長を促し、支えている構図が見出されるという。

これらのほかにも、詳しくは取り上げないが、一時期のウェブ上でよく見られた「無断リンク禁止」といった「規範」レベルでの規制が「アーキテクチャ」の規制に置き換えられていく過程も面白く読んだ。また「なぜ2ちゃんねるミクシィは日本で受け入れられたのか?」など日本独自のアーキテクチャが生まれている点に関する論述も、日本社会/文化論として面白い。


建築と「アーキテクチャ

ここでイベントについて振り返ると、今回の"LIVE ROUND ABOUT JOURNAL"では「アーキテクチャ」については十分な議論はなされず、議論の入り口に立った段階で終了となったが、建築について濱野氏がアーキテクチャの観点から語る場面があり、これが解釈や批評の理論として興味深く捉えられた。あらためて考えてみると、五十嵐太郎『過防備都市』(2004年)に出てくる「ホームレスが寝られないように仕切りの設けられたベンチ」なども、意識的にアーキテクチャが実装されている例として捉えられるだろう。
建築界でこうした概念を考えるには、それが積極的に建築を「つくる」上での理論として受け入れられなければ難しい面があるように思うが、この概念が情報環境の分野から「物理的な」分野に飛び出すことを考えれば、建築分野が考えなければならないことは多くあるはずだ。濱野氏は「ミクシィのように都市空間や集合住宅地を設計し(p.334)」とも記している。
少なくとも私は、こうした情報分野のアーキテクチャの進化にあわせて生活が少しずつ変化していることを実感している。
では建築は、どう変わるのか?

*1:roundabout journal http://www.round-about.org/2008/12/live_round_about_journal_2009.html

*2:厳密には"architecture"が「建築」と和訳されたのだけど。