mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

松山・三津の鯛めし専門店「鯛や」

「鯛や」という鯛めし専門店が、松山の港町・三津(三津浜)にある。

「鯛めし」とは愛媛の郷土料理のひとつで、焼いた鯛一匹を土鍋の米の上に乗せ、ともに炊き込んだもの。炊き上がったら鯛の身をほぐして食べる。とはいってもこれは愛媛の中で二種類ある鯛めしのひとつで、宇和島など南予地方(愛媛県南部)では生の鯛を使い、鯛の刺身とタレや薬味をごはんにかけて食べるものを指す。どちらも甲乙付けがたい。



*1

この鯛めしの専門店として評判を呼んでいるのが、三津の「鯛や」であるが、訪れるとその外観には惹かれるものがあった。木造の古民家、その上には緑青銅板が施されている。この「鯛や」は1929年(昭和4年)に建てられた建築で、これまで何度か紹介してきた、かつての松山・三津の様子を現在に残す存在のひとつといえる。


中に入れていただくと、1階には座敷が広がっている。この座敷で食事が出されるのだが、聞くと、かつてこの座敷は句会に使われていたのだそうだ。数多くの俳句を残した正岡子規を排出した松山の中でも、三津は俳句が盛んな土地だったらしい。子規の俳諧の師である大原其戒もこの近くに住んでいたそうで、そうしたことも町衆の文学熱を後押ししたのだろう。

その様子は、2階の座敷を利用してつくられた「三津浜資料館」に陳列されている数々の資料からも感じ取ることができる。私が訪れた4月には、様々に詠まれた俳句や、それに添えられた絵などがずらりと並べられ、先に述べた大原の句もあった。ここの資料は「鯛や」のご主人が蔵に眠るものを引っ張り出しては自ら読み解き、並べたもので、まだまだ数多くの資料が眠っているのだそうだ。


これは1階座敷の隣の部屋に置かれていたもの。骨董品が販売されている。

建築についてもいくつかの気付きがあったのだが、ご主人に案内していただいて面白く感じたのが、2階の資料館の廊下を隔てた部屋だった。この部屋だけが、1階や資料館の和室からは想像できない「洋室」として作られていたからである。細部を見てみると、床は寄組みの板張りで仕上げられていたり、窓は洋風建築の定番である上げ下げ窓というように、随所に擬洋風的なデザインが散りばめられている。こうした洋風デザインへの志向が感じられるこの建築は、当時の三津の「粋」な存在だったはずだ。


「洋室」の扉にはこの装飾が取り付いている。モチーフは何?


そうこうしているうちに鯛めしができあがったので、いただくことにした。鯛めし、鯛の刺身、鯛のお吸い物*2と鯛づくしのこのメニューは1日30食、1500円也。あっという間にたいらげてしまったが、その頃には座敷が人でいっぱいになっていた*3

*1:2階の壁面に銅版が貼られているが、その上に普通に瓦屋根が乗せられていて、いわゆる看板建築のようにスパッと壁面が立ち上がっていない。半・看板建築といったところだろうか。

*2:写真を撮るのに蓋を取るのを忘れた。

*3:30食限定、かつ営業時間も昼11:30〜15:00のみなので、訪れる際には予約を。

*4:同じ名前のお店が松山市内にもあるが、これはまた別のお店。でもこちらもおすすめですよ。 http://liquor.g.hatena.ne.jp/zaikabou/20070501/1178230568