mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

空間と作品 ―原口典之展と池田亮司展

この数ヶ月で訪れた展覧会の中で興味深く捉えられたものに、横浜・BankART Studio NYKで行われた『原口典之展 社会と物質』、そして東京都現代美術館での『+/- [ the infinite between 0 and 1 ] Ryoji Ikeda 池田亮司』が挙げられる。これらの展示はそれぞれ面白かったが、両者が時を同じくして見られたことで、美術作品の展示される「空間」というテーマについて考えさせられた。


原口典之展 社会と物質

原口典之の展覧会は、横浜のBankART Studio NYKで開催された。原口は1970年頃に展開した「もの派」の代表的な作家であるが、今回の展示では、まず3階の展示室に入ると、アルミニウムで作られた戦闘機「ファントム」が出迎えてくれる。存在感のある、ものものしい作品群が展開する中で特に印象的だったのは、黒い油を広げた「油のプール」だった。


A Pool of Oil


圧倒的な存在感を放つこのような作品には、かつて倉庫だったBankART Studio NYKのハードな展示空間がよく合う。ここはもともと倉庫だったものを展示空間としてリノベーションしたもので、特に、ファントムや油のプールなどが展示された3階は、その倉庫空間の壁、床、天井、柱などになるべく手を加えておらず、倉庫としての空間やその痕跡をそのまま生かした展示室として利用されている。誇張を含む言い方だが、今回の展示については、ハードのほうがが原口の作品にあわせてつくられたのではないか、と思われるほど空間と作品とが共振していた。

さらにいえば、横浜のこの場所であったことも、この展覧会の強度に寄与しているように思う。戦闘機「ファントム」の成り立ちに、原口が神奈川の横須賀に生まれたことは無関係ではないように思うし、また、原口は当時の若手のアーティストとともに、かつて横浜の富士見町で開かれた「Bゼミ(ベイシック・ゼミナール)」にも参加していたが、それは今日のBankARTの精神にも繋がるように思うからだ*1。そうしたことから、本展覧会は、東京やあるいは世界のどこかのホワイトキューブの展示室では成立し得ない作品であったように思う*2


+/- [ the infinite between 0 and 1 ] Ryoji Ikeda 池田亮司

翻って池田亮司展は、東京都現代美術館の「ホワイトキューブ」を生かした展示であるように思われた。上下階に分かれた展示室はそれぞれ黒と白という対比的な空間で、特に地下1階の「白い」展示室は白いマットが床一面に敷かれ、靴を脱いで上がるという徹底ぶりで、「ホワイトキューブ」のホワイトキューブらしさを追求したかのような空間だった。


Ryoji Ikeda Exhibition
"Ryoji Ikeda Exhibition" on flickr, by suza_phone


ホワイトキューブの空間が意図するものとは、先の原口展と対比させていえば、そのひとつの特徴として「没場所性」が挙げられるだろう。どこの場所でもない、ユニバーサル・スペースである。しかし、ホワイトキューブのそうした特性を追求した本展で浮き彫りになったのは、ホワイトキューブの持つ「場所性」のようなものであるように感じられた。ホワイトキューブこそが持ちえる空間の強度がある、といったほうが適切かもしれない。ホワイトキューブは匿名的な空間で、どこにでもあるユニバーサルスペースだというものだとしたら、それは少し違うんじゃないか。むしろ、ホワイトキューブのそうした特性を推し進めた先に、ホワイトキューブが何らかの個性を獲得しえたように思われた。ホワイトキューブとして優れた美術館は日本国内にも他にあるだろうが、それでも池田展は、この場所、この空間でしか成立し得ないような錯覚をおぼえた。
それは、恐らく池田亮司(とキュレーターら)がこの空間のポテンシャルを読み解き、空間のスケールや質に呼応した展示をなしえたからだとも思う。そう考えてハタと気付いたのは、原口典之がBankART Studio NYKの空間に呼応させてみせた「ファントム」や「油のプール」と同じような現象が、空間の質が180度異なる東京都現代美術館ホワイトキューブでも起こっていた、ということである。

*1:横須賀と横浜とではこじつけだが、一個人の感想として許していただきたいと思う。

*2:もちろん、作品に先立つ「空間」へ呼応させる原口の能力と、BankARTのキュレーションの能力があってこその話だろう。