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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

道後・Meets Arts OPEN COLLEGE -道後のアートを考える

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"Meets Arts OPEN COLLEGE"へ

10/9-10の週末は、道後での"Meets Arts OPEN COLLEGE"へ。道後オンセナート2014のプロデュースを手がけた松田朋春さん、市の担当者、地域団体/ホテル社長の代表者をお招きし、松山でのアートフェスティバルを考える勉強会とワークショップが2日間にわたって開催された。その内容を簡単にまとめておきたい。

 

「道後オンセナート2014」の戦略

「道後オンセナート2014」は、2014年の道後温泉本館改築120周年にあわせて松山の道後温泉エリアで実施されたアートフェスティバル。松山市が中心となり、プロデュースにスパイラル/ワコールアートセンターを招き、道後の旅館組合などと共に実施されている。2015年、2016年と今日まで「道後アート」として続くきっかけとなった事業である。

道後温泉松山市が運営しており、市も事業者として温泉から収入を得ている。1994年の道後温泉本館改築100周年では「からくり時計」などハードに頼った施策を展開したが、120周年となる2014年に、市としてどのような政策を展開するか。ハードではなくソフト側の施策として、道後の観光客を増やすための策として「アート」を選んだことで実現したのが『道後オンセナート2014』であった、と当時の市の担当者であった中矢氏は述べる。

そこから人脈をたどり(余談だが、ちょっとした人脈から一気にプロジェクトが動いてゆくのも松山らしいとも思うのだが)、スパイラル/ワコールアートセンターを招いて企画を練り上げることになる。道後には、宿泊者減、旅行者の団体から個人化へのシフト、そして道後温泉本館の改修という課題や変化が生じていた。それらをきっかけに「新たな道後」を考え、創出する。地域資源の再発見と発信、街歩きの楽しさの創出、新たな道後の担い手の育成――そうした方針が、基本計画として盛り込まれることになった。

しかし、それまでに取り組んだ実績のない「アート」に関する事業に対しては、地域からの反発もあった。そうして地元との議論を重ねる中で道後温泉の「歴史性」は欠かせないものとなり、その中で磨かれたコンセプトが「最古にして、最先端。」。日本最古の温泉といわれる道後の歴史性を踏まえつつ、そこに揺さぶりをかけるために新しいもの=アートを入れてゆくというものである。

『道後オンセナート2014』の主なターゲットは、これまでに掘り起こせていなかった20-30代女子が想定され、コンテンツについては、メディアアートを加えること(「最先端」の表現)、泊まれる作品(道後エリアへの滞在時間の拡張を図る)、街にアートを点在させること(歩くエリアの拡張を図る)という観点から計画がなされた。

また、道後オンセナートは”1年以上”という長期のアートフェスティバルであることが大きな特徴であり、そしてそれこそが大きな課題でもあった。通常、数ヶ月の国際芸術祭に5~10億円という予算が割かれる中、道後は年間のプロジェクトに対して市・協賛合わせても2億円。長期間の作品の保全管理も大きな課題となる。

9つのホテルの客室をアート作品とする「ホテルホリゾンタル」は、そうした課題を乗り越えるためのプログラムでもあった。道後地区のそれぞれのホテルがアート作品に出資し所有することで作品の保全管理という課題をクリアするとともに、それぞれのホテルが作品の説明を行うことで運営上の課題もクリアされる。自分たちが出資することで「自分たちの作品」となり愛着が生まれることにもなるし、見学料や宿泊を含めた売上やホテルのPRにも貢献することとなった。

結果的に、道後エリア全体の宿泊数の目標も達成し、当初は反発していた地域やホテルの方々からも一定の理解を得られることとなる。様々な課題はあるが、十分に「成功」といえる内容となった。

それまでのアートフェスティバルに明確な目標や目的が定められることはあまりないのだが(せいぜい来場者などのKPIが定められる程度であった)、道後の場合はそれが明確であったことが大きい。

 

所感

ここからは話を聞いての感想。アートが役に立つのか、といった議論を時折見聞きするが、そう問われれば「役に立つ」とは言えるだろうと思った(アートは役に立つようなものとして位置づけられて良いのか、そもそもアートの定義とは、といった議論はもちろんある)。日本国内の多くの都市や地域でアートを政策として取り入れる事例が増えてきたのもそのような背景からだろう。しかし、安易に取り入れられることで「これから失敗事例がたくさん出てくるだろう」と松田さんが仰っていたのも印象的だった。

道後の場合は「市民不在」という声も聞かれるが、2014年の場合は主なターゲットを観光客に向けたプログラムであったことから、プロジェクトの成功にはやむを得ない部分もあったように思われた(それでも、地元のアーティストや関係者が関わる楽しいプログラムはたくさんあったと思う。それが地元の住民に対してどこまでリーチできたかというとクエスチョンが残るし、課題だろう)。

しかし、今後の継続性を考えると、観光客のみならず、市民・アーティストも含めた三者にとって良いものでなければいずれ立ちゆかなくなるだろう。そのような観点からすれば、地域の文化振興としての方向性として、地域のアーティストを加えるという方針も考えられてくる。そのときに、オンセナートや道後のアートというクオリティ(ブランド)をどのように保つか、どれだけ周知され集客できるか、といったことは課題となるはず。そもそも、2017年以降は道後温泉本館の改修という大きな課題が控えているのだが。

また、道後のアートプロジェクトはソフト面の施策ではあるが、2000年代に行われた、道後温泉本館周辺の道路の付け替えと道後温泉本館前の「広場」の創出といった空間・環境のデザインは、オンセナートや現在も続く道後アートを展開させるのに必要な下地となったように思う。 都市デザインとアートプロジェクトはそれぞれ異なる施策であるが、実はハード上の与件が整えられてきたことは非常に大きいと思う。”コンクリート”も必要だし、景観について地域が自主的に取り組んできたことが功を奏したといえるだろう。