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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

2017年、便所で読んだ9冊

2015年の年末頃から「便所で本を読む」ということを続けている記録。便所だけでコツコツ読む、といったルール。

2017年には9冊のみで、2016年の半分程度。慌ただしい時間でも便所で毎日続ける、というのが肝要なので少しさぼってしまって反省。

傾向としては、商業(施設)系と、都市形成史のような分野に関する読書をしている。

 

1.野澤千絵『老いる家 崩れる街』

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

 

 

人口減少社会であるにもかかわらず住宅を大量に作り続ける「住宅過剰社会」。そうした状況に対して警鐘を鳴らす一冊。

住宅過剰社会に対しては、空き家を減らすこと、中古住宅の流通を促進すること、新築住宅中心の市場から転換することが重要だという。しかし本書で挙げられる事例からは、それが容易ではないことが見て取れる。様々な都道府県・自治体での数多くの失策が暴かれ、課題があぶり出される。

そこからは、都市計画制度について国から地方へ権限が委譲されても、それがうまくいっていないという印象を受ける。

法規制を強化し、立地誘導によるコンパクトシティを目指すという主張は正しい。しかしいざ自身の財産という話になると難しいことも容易に想像がつく。都市計画関連法規に関する規制緩和は票にも結びつく。その辺りをどのように管理してゆくかとことが課題ではないかと思った。

 

2.パコ・アンダーヒル著 鈴木主税訳『なぜこの店で買ってしまうのか』

なぜこの店で買ってしまうのか―ショッピングの科学

なぜこの店で買ってしまうのか―ショッピングの科学

 

小売店における、売り場と顧客に関する徹底的なフィールドワークによってショッピングの科学を説く一冊。調査にはビデオテープを用い(POSではない!)、数多くの項目から購買行動が検証されている。

買い物客は店にいる時間が長くなるほどたくさん買うし、滞留する時間は、いかにその場が快適で楽しいかによるという。小売りに関するビジネスを行っている人々にはもちろんだが、建築や空間の計画・設計などの仕事に携わる人々にも有用な一冊だといえるだろう

第2部以降は「ショッピングのメカニズム」(第2部)「ショッピングの統計的研究」(第3部)「ショッピングの力学」(第4部)と、調査による気付きや発見、分析結果が記されている。

第2部では、

・移行ゾーンには何であれ重要なものをもってこないこと。

・入り口のすぐ近くはかなり悪い場所。

・買い物カゴは店内全体に分散させて置く。

…などの内容が、スーパーマーケット、ドラッグストア、ショッピングモールなど様々な事例を交えて論じられている。

個人的な感想を記すと、本書を読み進めて思い出したのはヤン・ゲールだ。ゲールの屋外空間やアクティビティに関する内容を、ショッピングに置き換えたような一冊、というとイメージしやすいだろうか。実践的であり、かつ顧客側からの立場からも楽しめる内容だった。

 

3.栗山浩一『成功するSCを考えるひとたち』 

成功するSCを考えるひとたち

成功するSCを考えるひとたち

 

戦後、大阪で商店の陳列ケースを扱う商売からスタートし、日本の商空間のフロンティアとして歩んできた「船場」。イオンレイクタウンなど船場が手がけたショッピングセンターを実例として挙げながら、社長自らがその「街」の開発方法を語る一冊

本書の基本的な流れとしては、基本構想→基本計画→基本設計→実施設計→建築施工、とSCの開発フェーズに従って、マーケット調査/MD計画/マスタープラン/商環境デザイン/テナント内装推進/リーシングプロモーション/その他の7つの業務項目について、その要点が語られてゆく。

例えばマスタープラン策定(基本構想)の「動線計画」では、モールのメインとなる人の流れは基本的に一本/サブモールを作る場合はモール毎に優劣をつけない/動線から外れた場所に別のモールを作らない/イコールコンディションの実現(特別なゾーンを作らない)といった具合。

MD計画では、「崩し」を入れたテナントミックス/集客核・売上核・イメージ核(+社会貢献核)の配置決めからスタートする/集客核のうち、スーパーなどデイリーなニーズに応えるものは駅や駐車場から近くに、駅直結のフロアには若者向けのヤングカジュアルを配置する、など。

船場の栗山社長、経営学科卒→建築学科卒というのもキャリアの築き方としてなんとなく気になるところ。


4.上山春平 編(1969)『照葉樹林文化』 

照葉樹林文化―日本文化の深層 (中公新書 (201))

照葉樹林文化―日本文化の深層 (中公新書 (201))

 

本書は、植物生態学、栽培植物学、文化人類学などのグループによって1969年に行われた日本の原始文化に関するシンポジウムをまとめたもの。

個人的に、農耕文化がどのように伝播していったのか、また、宮崎駿への照葉樹林文化論の影響(もののけ姫など)が気になり手に取った一冊。

 

縄文=採集、弥生=農耕文化というのが一般的な見方だろうが、本書では農耕文化の源流を縄文中期頃に求めている

照葉樹林文化とは、いくつかにカテゴライズされる農耕文化の原型の一つである根栽農耕文化の変型で、日本から南シナ、ヒマラヤ地域に及ぶ「照葉樹林」という生態系の設定を前提としている。…のだが、ウィキペディアなどで調べると、照葉樹林文化論については多方面から様々な検討が加えられ、批判もあるようだ。


5.小林一郎(2014)『横丁と路地を歩く』 

横丁と路地を歩く

横丁と路地を歩く

 

著者は細い通路により外部から遮断された世界を創り出しているのが横丁と路地だという。江戸の路地や横丁の成り立ちを解説した上で、銀座、谷中から北千住、さらには大阪や名古屋の路地を紹介する。

路地や横丁、横町の成り立ちについて、本書よりメモ。

 

・江戸の町割りは京間60間(118m)。

・四辺(表通り・裏通り・両側の街路)から20間を町地とする。

・中央に余る20間角が会所地としてゴミ捨て場などに利用。

・間口4~5間・奥行き20間が標準的な町屋敷。

・「路地」は表から裏長屋へ抜ける細い通路のこと。

・大通り間を繋ぐのが横丁だが、横丁から会所地を利用できるような「新道」が通されるようになり、幕府に認められると新道は「横町」となった。

・横町には、表通りで火が使えないため飲食店が多く並んだ。

・それにより「食傷横町」「屋根屋横町」などのネーミング横町が誕生する。

・地代も、表通りが高く横丁が安いが、新道沿いはさらに安い。

・その分「横町」に庶民性があるといえる。


6.小林昌平他(2007)『ウケる技術』

ウケる技術 (新潮文庫)

ウケる技術 (新潮文庫)

 

コミュニケーションにおける「笑い」はセンスや才能と片付けられがちだが、整理すると有限のパターンの組み合わせに分解できるという。本書ではそのパターンを技術として実例と共に紹介している。(例:ツッコミ、建前、カミングアウト)

 


7.加賀谷哲朗(2015)『沢田マンションの冒険』 

驚嘆!セルフビルド建築 沢田マンションの冒険 (ちくま文庫)

驚嘆!セルフビルド建築 沢田マンションの冒険 (ちくま文庫)

 

沢田マンションとは、沢田嘉農さん・裕江さん夫婦が高知市にセルフビルドで造り上げた地上5階建RC造の集合住宅(通称「沢マン」)。本書は『沢田マンション超一級資料』(2007)に加筆したもので、沢マンの歴史や解説、図面集などから成っている。

個人的には、沢田夫妻の人となりや建設の歴史の概説が参考になった。本書でもフンデルトヴァッサーが引き合いに出されているように、私も沢田夫妻のことをフンデルトヴァッサーのようなアーティストとも思っていたことがあったが、彼らが経営者であり職人である、といったことを読み進めながらあらためて思った次第。

このような”変わった”背景を伴って建てられた建築物が時代を経て、その価値や魅力を見出した新たな住人を呼び、新たなコミュニティや発信の場となっている状況が面白いなとこの頃思う。

 

8.荻上チキ『ウェブ炎上』

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

 

今から10年前、ブログやmixi時代の本。再読。イラク人質事件における人質へのバッシングをはじめ、インターネット上の「炎上」を事例に、サイバーカスケードをキーワードとしてその仕組みが論じられている。今日もその傾向は変わらないどころかますます強まっているという感想。

サイバーカスケードとは、(略)サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し、議論や対話を行っていった結果、特定の――たいていは極端な――言説パターン、行動パターンに集団として流れていく現象のことを指します(pp.34-35)

情報収集の仕方や態度によっては、誰でも確証バイアスを強化し、その結果のひとつとして、メディア・リンチや炎上が起こってしまうということ。ネットが情報の海だとすれば、まさに言葉通りその中のタコツボに入ってしまっているような状況が生じているように思える。


9.橋本健二『階級都市』(2011) 

階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)

階級都市―格差が街を侵食する (ちくま新書)

 

金持ちは都心に住み、下町には所得の低い人が住んでいる、というお話。前半の都市論に関する議論と、それから東京の近現代の都市史を階級という観点から捉えなおした点が参考になった。

まず筆者は次のように述べる。

資本主義経済の発展と構造変動は、都市の変化を引き起こす。(略)格差拡大を含めてすべての社会現象は、空間のなかで起こり、空間のなかに表現されるはずである(pp.41-42)

例えば、次のように。

工場ととオフィス街が生産におけるフォーディズムの空間であるのに対して、郊外の住宅地や団地は消費=再生産におけるフォーディズムの空間である。両者は幹線道路と鉄道に都市空間を生み出し、都市空間に表現されたのである(p.64)

つまり、都市空間には階級講造が反映されていて、それぞれの階級は、別々の空間に集まって住む傾向があるということ。

江戸においても、下町と山の手との対比は17世紀には見られたという。江戸時代にも町人は低地の商家や長屋に、武士は高台にという身分による棲み分けがあったが、この傾向は関東大震災によって加速されることになる。

東京の中心が渋谷、新宿などの発展に伴い西側へシフトする中で、山の手の比重が大きくなる。それに伴って、下町も、従来の下町である隅田川西側の下町は商業地域に、隅田川の東側の新しい下町は工業地域(=新下町)と二分された。という点は覚えておきたい。