藤村龍至 講演会 「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」
11月21日(土)は香川・高松にて建築家 藤村龍至さんの講演を拝聴。テーマは「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」。香川建築士会若手建築士研鑽事業。
いやあ、おもしろかったし勉強になりました。
ざっくりといえば、まずは戦後日本の建築史を参照しながら、丹下健三と金子香川県知事の関わりなど交えて、建築家が社会のニーズや思想にあわせてどのように建築を手掛けてきたか、という点について説明。そしてWindows95の販売や阪神淡路大震災の起こった1995年というターニングポイントを経て、現在とこれからの「縮小時代」がどのような建築を求めているのか、といった視点から、現在の建築や、藤村さんご自身のプロジェクトを紹介するといった内容。
講演の内容はtogetterにまとめられているのでご参照を。
http://togetter.com/li/904054
藤村さんの建築とその思想は、1995年をターニングポイントとする「個人のリーダーシップ」による建築から「集合的に考える」建築へという時代の変化に応じたものということなんだろうけど、それが「鶴ヶ島プロジェクト」「大宮東口プロジェクト」などのプロジェクトとして、また大学での建築教育としても成果をあげていることが理解できた。藤村さんの「超線形設計プロセス論」に代表されるようなブレない理論・思想には過去から批判的な意見も多く聞かれたけれど、しっかりと結果を残されているんだなと。
ご自身の手がけるプロジェクトには民間のものもあるけど、あらためて、藤村さんの方法論は公共建築・公共政策との相性がいいように思った。例えば講演の中でも、新居千秋さんが大船渡市に「リアスホール」を設計するにあたって市民ワークショップを54回繰り返したという方法について触れられていたように、建築のつくられ方にも変化が生じている。それは公的なプロジェクトにおける合意形成のあり方が変わってきたこと、そのトップダウン型による進め方の難しさも示しているように思う。
もうひとつ触れられていたのは、教育について。大学で教鞭を執る建築家であるプロフェッサー・アーキテクトとしての役割の変化についても論じられていたが、それもまた上述のような時代や方法論の変化に応じた取り組みを実践されているようだ。私自身、学生の時に(といっても10年以上前の話)、建築界、あるいは大学の建築設計の課題における作品・作家主義的でタコツボ的な評価のあり方に違和感を覚えていたのだけど*1、藤村さんが2010年に教育の場にも身を置くようになり、その中で建築への新たな評価の仕組みを考え、実践されていることは非常に興味深く捉えた。例えば、一学年約180人という学生に建築・設計を教育するにあたり、提案される模型の縮尺を統一して並べて見られるようにし、上位者を10人に絞るプロセスも公開して学生に見せてゆく、等。学生とともに取り組む「鶴ヶ島プロジェクト」をはじめとする集合的・段階的な計画/設計のあり方は、このような教育なしにはなしえないものだと思ったし、このような教育を経た東洋大学をはじめとする学生がどのように実務の社会に出ていくのか、そうして藤村さんのいう「これからの建築家像」がどのように更新されていくのか。そのあたりは引き続き注視したい。
時代の変化にあわせて建築を取り巻く環境も変わり、「建築」と言っても、リノベーションや公共空間・まちづくりといった分野への拡大や、あるいはPM/CMや建築家との協働…等々の職能も確立されつつあるように見える。これらはある意味で建築界の外部から新たな地平を切り拓くアプローチともとれるんだけど、藤村さんの取組みは愚直なまでに「内部」から、既存のフィールドを変えてゆく試みであるように受け取った。講演をお聞きする感じでは、それはかつて丹下健三が担った役割を上書きする試みとも受け取れた。そこに「これからの建築家像」、さらに「これからの建築像」といったものの一端が見えたように思った。
- 作者: 藤村龍至,TEAM ROUNDABOUT
- 出版社/メーカー: エクスナレッジ
- 発売日: 2009/02/20
- メディア: 単行本
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以下、講演会の中で触れられたことに関するメモ。
大学教育については、芦原義信さんらが東大で教えていた70年代は、例えば柱のスパンといった実務的な内容を主に教えていたそうだが、あるときそれが行き詰まって現在行われているような設計の講評のシステムができたという。現在の大学教育における講評のシステムの成り立ちについてはあまり考えたことがなかったが、それが有効だとされ、変化が生じたことがあったということ。
思い出してみれば、藤村さんが2000年代前半運営されていたウェブサイトで扱っていたビルディングタイプも「学校」だったはず。藤村さんの社会や公共に対する関心が一貫されているんだなと、あらためて。
香川大学で建築の授業があり建築が教えられているということを知らなかった(これは香川大学の学生による質問で気付いた)。
<朽ちる日本、朽ちる東京>について。アメリカでは世界恐慌後、1930年代のニューディールにより様々なインフラが整備されたが、それが1980年代になって朽ちていったという。1960年代に急ピッチで都市インフラが整備された日本ではそれが2010年から2020年代にかけて一斉に生じてくるだろうという。
*1:その意義も理解できる/できたし、それはそれで面白いけれど、どこか現実とは乖離しているようなゲーム的な感覚がぬぐえず、このゲームに心血を注いでよいものか、とも考えた。
道後オンセナート2014 9つの「泊まれるアート」をめぐる "HOTEL HORIZONTAL"
2014年は、四国松山にある道後温泉本館が改築されて120周年にあたる。この機会に松山市の道後で開催されているアートフェスティバルが「道後オンセナート2014」である。4月のグランドオープンではライゾマティクスによるプロジェクションマッピングが道後温泉本館を使って行われ、街にも影絵などのパブリックアートが点在するなど、道後はこれまでとはちょっと異なる様子を見せている。
今年の年末まで行われるこのアートプログラムの中核を成すのが、9つのホテル・旅館を使った泊まれるアート「ホテルホリゾンタル」。9人のアーティストやデザイナー、建築家らに、9つのホテル・旅館の各1室を「作品」化してもらうというものである。
これらのホテル・旅館の作品には実際に宿泊することもできるが、宿泊客のいないチェックインまでの昼の時間帯は有料での見学も可能*1。ここでは「ホテルホリゾンタル」の9つ全ての作品を見てまわったものを記録として残しておこうと思う。
わが魂の記憶。そしてさまざまな幸福を求めて 草間彌生×宝荘ホテル
草間彌生による、道後オンセナート・ホテルホリゾンタルの「看板」的な作品。昭和の佇まいを残す、ホテルの洋室・和室、そして広縁のそれぞれに3つの作品・空間が展開している。特に広縁の作品は夜には光るというから、宿泊客だけの特権といえる。
また、ホテル1階にはロビーの一角に「水玉カフェ」がオープン。草間カップで飲み物とお菓子が楽しめる。松山銘菓の「タルト」も赤い水玉に彩られている。作品「水玉強迫」もここで見られるほか、草間彌生のアートに彩られたショーツや靴下などが買える自動販売機も設置されている。(これは、道後オンセナートの総合プロデュースが、衣料メーカーのワコールを母体としたスパイラル(ワコールアートセンター)だからだろう)
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/kusama/
草間彌生の作品のあるホテルの隣りに位置する「道後舘」の一室には、詩人・谷川俊太郎が仕事をする部屋というコンセプトで、谷川さんが実際に使用していたパソコンや本などが展示されている。また、庭や浴室など、客室の様々なところに谷川さんの詩が散りばめられている。
この作品はホテルホリゾンタルの作品中、見学としては最長の50分間の鑑賞が可能で、抹茶やオリジナルの茶菓子を頂いたり、室内に設置されたノートに詩を書き残すこともできる。スタッフによる室内のアートの説明も丁寧で、ゆったりとした時間を楽しめた。
道後舘は建物自体が故・黒川紀章の建築作品であることも見逃せない。「はなのいえ」は、黒川さんが「花数寄」と呼ぶ数寄屋を現代風に解釈してデザインした客室と、谷川さんとのコラボレーションともいえるだろう。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/tanikawa/
楽園 荒木経惟×ホテル古湧園
客室の襖などにアラーキーの写真作品『緊縛』『PARADISE』が展示されている。オンセナート唯一の18歳禁作品。道後はかつて遊郭が置かれた地で、現在も街の一角には風俗店が軒を連ねるという色街の側面を併せ持つが、この作品は道後のそうした一面を覗かせているようにも見えた。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/araki/
Sketch 谷尻誠×道後プリンスホテル
建築家・谷尻誠さんによる"Sketch"は、客室全体をペンキで塗りたくったもの。3次元の空間に展開する、2次元の絵画のようなアンリアルな世界。この空間は身を置いて体験するだけでなく、カメラで撮影することで本当に2次元であるように見えてくるから不思議。友人や家族で訪れて互いに撮影すると、まるで絵画の世界に人が入り込んだような写真になり、インタラクティブアートとしてもおもしろいと思った。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/tanijiri/
Suuri Taiga / 大草原 石本藤雄×茶玻瑠
マリメッコのテキスタイルデザイナーを務めた、愛媛県出身の石本藤雄さんによる作品。リネン類や浴衣をはじめ、砥部焼のカップなど、隅々に石本さんのデザインが散りばめられている。見学するというより、どちらかといえば宿泊してみたいと思わせた。ホテルでは石本さんの作品も販売していた。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/ishimoto/
Time Science ジャン=リュック・ヴィルムート×道後やや
3つの時計の周囲や照明に一本一本描かれた線。そして円形のベッド。これらにより演出された空間はちょっと不思議でちょっと不気味。見学者に特典として配られる、ヴィルムートの絵が描かれたオリジナルのリネンも嬉しいお土産。作家については、越後妻有にあるMVRDVの建築内のカフェ・ルフレを手がけたアーティスト、というと建築方面の人には分かるだろうか。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/jean/
ロ 皆川明×花ゆづき
mina perhonenのデザイナー 皆川明さんの作品。床だけでなく、壁や天井にも琉球畳が一面に敷かれている。畳の香りがして、嗅覚でも楽しめる。座布団やトレイに蝶が描かれているなど、ちょっとしたデザインが隠れているのがかわいい。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/minagawa/
松山の市花でもある椿のプリントが壁全体に施されている。これらの写真はKIKIさんが市内の松山総合公園で撮影したものだそう。絨毯などもKIKIさんが持参したという。アートイベントでなくても、こんな感じで人の手が加えられた部屋ってもっとあっていいと思った。泊まってみたい作品。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/kiki/
藍 葉山有樹×ふなや
陶芸家・葉山有樹さんによる作品。江戸期に創業されたという旅館の歴史の醸し出す雰囲気にも合っていて、藍色の一色で彩られた空間が格好良かった。旅館の名前にちなんで「鮒」も描かれている。
なお、旅館 ふなやには「詠風庭」という、川が流れる気持ちのよい庭園が隣接しているが、夜には石川智一の演出によりライトアップが施されている。これもまた道後オンセナートの作品のひとつ。
http://www.hotelhorizontal-dogo.com/hayama/
ホテルホリゾンタルの9つの作品は道後エリアに点在しており、それぞれ徒歩で訪れることが可能だが*2、見学が可能な昼間の時間で周れるのはせいぜい3、4作品くらいだろうか。
ホテル・旅館の作品を巡りながら、その作品と作品との間に広がる街や道後の湯をともに楽しめるとよいだろう。道後温泉本館の周辺は近代的な街並みを見せているが、少し気を配れば、時を重ねてきた建物や神社仏閣、点在するアート、道後で暮らす人の営みも見えてくる。
地震発生から1ヶ月の記録 ―仙台市中心部の場合
はじめに
地震発生から二ヶ月が過ぎようとしている。私の生活はほぼ完全に地震前と同じレベルまで回復したが、生活の隅々まで見渡せば、今回の震災に起因する不自由・不便がまだたくさん残っているし、仕事の性質もすっかり変わってしまった。
本当に今さらだが、twitterでの当時のつぶやきを交え、地震発生から一ヶ月の記録を忘れないうちに記しておこうと思う。
※ 日付の横にある見出しは、その日の『河北新報』朝刊の見出しです。その日に起こった出来事を記しているものではないのでご注意ください。
※ この記録は、id:matsukazuto さんの記事*1に触発されて記したものです。ぜひあわせてご覧ください。
※ 私は仙台駅から徒歩で移動できる範囲に勤務し、住んでいます。以下の記録のほとんどは、津波による被害を受けていない、仙台市中心部のごく限られた地域での生活に関するものです。
3月11日 宮城 震度7【号外】
地震が発生した時は、オフィスで仕事をしていた。宮城では、つい2日前に震度5弱の地震が起こったところだったので、揺れ始めた瞬間は、また来たか、と思った。職場は超高層ビルの高層階に位置するが、建物の耐震性能を信頼していたこともあり、揺れ始めには楽観していたように思う。しかし揺れは収まるどころか、そのうちに大きな揺れがドスンと襲った。女子社員が「ヤバい!」と叫んだ瞬間、自分も怖くなったのを覚えている。そのうちに照明が消え、すぐに非常用照明に切り替わった。
このとき、「ついに来たか」と思った。宮城沖を震源とする「極めて稀な大地震」については、宮城のいろいろな人との交流の中で何度も聞かされていた話で、2日前に震度5弱の揺れがあったこともあり、この日も「宮城沖はそろそろ来るよ」なんて話を、冗談半分で話したりしていたところだった。
揺れが収まった後、携帯が繋がらなくなることが容易に想像できたので、安否をつぶやいておこう、と思ってとにかくツイート。
職場では、揺れが収まるとすぐに避難と安否確認が始まった。周囲の状況が気になったので窓の外を見渡したが、倒壊した建物が見られなかったので「阪神」程ではないな、と直感的に思ったものの、超高層ビルの屋上のアンテナが折れているのを目にした時、「これは本物だ」と思った。
ただ、幸いにもオフィスビルには非常用電源が備わっているため(後になって知るのだが、仙台でも非常用の電源を備えているビルは数少ない)、私はwebを通じて情報収集をすることを命じられ、東北地方の沿岸に大津波警報が出ていること、JR・地下鉄・バスや空港もストップしていることを知った。窓の外を見ると道路には渋滞が発生していて、混乱しているようにみてとれた。高層階ではあるものの、従業員の多くは建物自体の耐震性能の水準を知っていたと思うし、火災が生じていないことも明らかだったので、自ずと建物に留まるという判断が下されることになった。
そうしているうちに、「津波!」という声が聞こえた。仙台市中心部からでも、高いところからは、仙台の沿岸に津波が来ているのが見えた。辺りがどよめいて、そのうちに窓の外は吹雪で真っ白になり、なんかもう駄目だと思った。
その後、深夜にかけて緊急の震災対策活動を行うことになる。
皆様 お声掛けいただきありがとうございました。こちらは無事です。新しい建物にいることもあり、避難されてくる方のお手伝いなどしています。
外を見ると、真っ暗だった。この日、星がきれいに輝いていたのを覚えている。
この日も、前日と同じように手伝いをしたり、東京の本社とのやり取りなどを行った。遠隔地とのやり取りにはWeb会議が大いに役立ったが、状況や情報が一分一秒と変化し続ける中、遠隔地とのやり取りにおいて、枝葉に広がってゆく情報を収集し、最新のものに更新し、物事を決定してゆくのがどれだけ大変かを思い知ることになる。このとき(今もそうだが)、これまでに経験のない状況下では、ある程度「現場」に任せておいてもいいのではないかと思った。判断が必要な時は指示を仰ぐような形でよいのでは、と。
ただ、今回の震災に関する緊急のやり取りは数多くの企業や団体で行われていたはずで、震災による被害は計り知れないものの、この時の経験がそれぞれにとっても今後の大事な糧となったと思う。これを基に、各企業や団体で緊急時の対応などについて再整備をしておくべきだろう。ひとくちに「災害」といってもケースによってその内容は異なるだろうが、そういう準備や訓練を備えておくことが、初期の対応の早さにつながると思う。
情報を集める中で、twitterも時々見ていたが、電気の通じる環境で最も役立ったのは、やはりテレビだなと思った。それも、テレビの帯に流れる文字情報。ニコニコ動画によるNHKの配信も役立った。
仙台市中心部の話ですが、テレビが情報源としては重要で、避難所など公に見られるようになっているところがあります。電気のないところでは、携帯でも確認できるツイッターの情報は有用でしょう。ただ、情報源がそれしかない状況では、誤った情報やおせっかいによる、混乱や負担が生じかねません。
この日は夜に帰宅。自宅のマンションは職場からも歩いて移動できる距離にあるのだが、つい数か月前に引っ越してきたところで、ここに住んでいて本当に助かった。年末まではやむを得ず仙台市郊外に住んでいたが、引っ越していなければ、通勤や活動にも困難をきたしていただろう。以前住んでいたところは鉄道が寸断されてしまい、回復までにずいぶん時間がかかった。
仙台市中心部のマンションに帰ってきました。3/12 23時現在の仙台市中心部の一部の情報ですが、電気が復旧しています。住んでいるマンションは運よく電気が復旧していますが、水道・ガスが止まっています。電気が戻ると精神的に楽ですが、水の復旧については心配です。
この時点で電気が回復していたのは、仙台市中心部のほんとうにごく狭い範囲だけだった。
部屋の中はモノがめちゃめちゃですが、建物(躯体など)自体には問題ありません。
3月13日 福島第1 建屋爆発
13日も同様の活動。肉体的な疲労はピークだった。エレベーターが停止していたため、高層階の上り下りの繰り返しによるところが大きい。
この日、いち早くダイエー仙台店が営業を一部再開。ダイエー仙台店は仙台駅からもすぐの距離にある大型店舗で、すぐに長蛇の列ができていた。人の列が街区をいくつもまたがっていて、ここで買い物をするのは無理だと思った。
仙台市内でも安否などを伝える掲示板があちこちで見られた。
帰宅。水道が…生きてる!
13日の夜には水道が復旧…しているようにみえたけど、翌朝には高置水槽の水が切れて水道が止まってしまっていた。結局、水道は15日に完全復旧した。
3月14日 犠牲「万単位に」
14日には「なか卯」(青葉通り店)が営業を再開。限定1000食で、うどんやカレーの限定メニューを提供していた。
後になって見ると、この店舗が「仙台市内で一番最初に営業再開した牛丼店」だったようだ。
この頃、時折ゲリラ的に開店する飲食店があらわれた。すぐに行列ができては、限られた食数だけを販売して終了するものだが、こういう店舗にはお世話になった。家にはほとんど食料の備蓄が無く、日中は会社に出ているため、買い出しの列に並ぶこともできなかった。
精神的に参ってきたのもこの頃だった。こうした状況で、仕方がないとはいえ「ぽぽぽぽ〜ん」には堪えた。津波での死者が増え続ける情報を見聞きしながら「あいさつするたび ともだち増えるね」って聞こえると、この「ともだち」って何の比喩だよ…と思ったり、今考えるとおかしくなっていたと思う。
3月16日 高濃度放射能 漏出
確か、職場への新聞配達が再開されたのがこの日だったと思う(15日かもしれないが、配達された「河北新報」を職場で初めて目にしたのはこの日だった)。
3月17日 福島第1 冷却作業難航
この日、商店街「サンモール一番町商店街」で青空市「マルシェ・ジャポン」が再開。(写真は18日の様子)
また、佐川急便は仙台でいち早く、この日から業務を再開したようだ。物資・食糧を届けてくれることへの淡い期待もあったが、荷物は遠方の営業所留めなので、車の無い自分には無理だなあ、と諦めていた。
風呂入りたいなあ。
「あたたかい風呂」も渇望していた。地震発生からガスが止まったままなので、お湯が出ない。体を濡れタオルで拭き、頭を冷水で洗う生活が続いた。仙台でも水が復旧しただけ恵まれているのだが、それでも、出てくる水は冷たかった。
同じく仙台に住むマツカズトさんからいただいた情報で、明日はシャワーを浴びるぞ!という希望とともに就寝。
3月18日 仙台港に救援物資
この日、やっと休むことができたので、辺りの様子を観察することにした。
昨晩の降雪により、歩道や路面はところどころが凍結していた。
やっと休みがとれたので仙台市内を歩いてみた。せんだいメディアテークの一部天井崩落については衝撃的な写真を目にしたが、外観はこんな感じ。一部、ダブルススキンの内側のガラスが割れているのが確認できた。 http://twitpic.com/4ak7il
せんだいメディアテークも「当分の間 閉館」。(5月3日 部分的に再開)
仙台市中心部にあるダイエー(写真)やドンキホーテには連日長蛇の列ができているが、裏通りの商店等は空いていることが多い。カップラーメン、レトルト・加工食品、ペットボトル(1.5L)飲料、生理用品、カセットコンロあたりが品薄。 http://twitpic.com/4akb0d
ダイエーに並ぶ人の列。
ドン・キホーテに並ぶ人の列。
マツカズト( @matsukazuto )さんに教えていただいたお店で、今日やっと温かいシャワーを浴びることができた。仙台市中心部の美容院では、500〜1000円で髪を洗ってくれるお店が出てきた。(マツカズトさんありがとうござい http://twitpic.com/4akclu
何度もお世話になった1000円シャワー。プロパンガスボンベを使用している一部のエステサロンやホテルなどで、温水シャワーが有料提供された。都市ガスが止まった状況下では、プロパンガスボンベが大いに役立った。
コンビニには、店舗内部を隠すように新聞紙が貼られていた。仙台だけでみられた現象だったようだ。
3月19日 戦後最悪 死者6911人
地震直後からの仙台での1週間は、即応的な仕事というか対処をひたすら続けていたけれど、今日やっと、これからの1か月、半年、1年を考えられるような心理状態に落ち着いてきた。
3月21日 9日ぶり2人救出
仙台の繁華街、国分町も少しずつ元の姿に戻りつつある。まだ完全なかたちで営業を再開している店舗は少ないが、今日は風俗の客引きに声をかけられた。
3月23日 息吹き返す大動脈
本日3/23の河北新報朝刊、ガス復旧の見通しについて。 http://bit.ly/gPK6Kj 仙台市のガスも当分目途が立たない状況だったが、仙台市ガス局によると「新潟からのパイプラインを活用し、3月23日(水)より供給を開始し、順次供給を再開する予定」。
この頃から、自身の生活に関する関心といえば、ガスはいつ復旧するのか、ということだった。数日に一度、1000円シャワーを浴びるために、早めに帰らせてもらっていた。このシャワーも19時には終了してしまうからだ。営業を再開した店舗は増えてきたが、どの店舗も夕方には閉店していた。
3月24日 東北道きょう全面再開
この日、松山の実家から物資が届いた。電気コンロが入っていて、これは助かった。
ずっと揺れているような感じがして治まらない。これ、地震酔いっていうのか。自分の周りでもずいぶん多くの人が口にしている。
3月25日 東北道 全面再開
仙台のガソリンスタンドでは、ガソリンを求める車が数時間は並ぶ状況が続いているが、LPGを燃料にしているタクシーは問題なく動いている。燃料が自家用車とタクシーとで異なるのは災害を見越したものではないだろうけれど、こうした有事の際のリスク軽減には寄与しているといえるのだろう。
ガソリンスタンドには相変わらず車の列ができていたが、その列も日に日に短くなっていった。
3月27日 集団避難 動き相次ぐ
仙台市の商店街の様子。
3月28日 宮城 がれき量「23年分」
髪を切ってきた。いつもいっぱいだった店内が、客は自分ともう一人だけ。ガスがまだ復旧していないため、シャンプーで使う温水には、電気ポットで沸かしたものが使用された。通常、3月は繁忙期だそうだが、客は来ない。来月の様々な支払が本当に不安だ、と胸の内を明かしてくれた。
この美容室、4月末にもう一度髪を切りに行くとお客さんでいっぱいだった。
3月29日 宮城 被害額1兆円超
仙台市の沿岸部を訪れる。このときのことを踏まえて思ったことを、下記に記した。
4月1日 宮城 被害額2兆円超
4月上旬は仙台中心部が急速に回復しているのを覚えているが、それは都市ガスの回復によるところが大きいように思う。実際に開栓作業が開始されたのは3月30日だったと思うが、都市ガスが復旧することで、飲食店・ホテルなどが一気に営業を再開した。全国からの応援で組織された、都市ガスの「復旧対策隊」解散したのが4月17日だが、この頃には、津波の被害を受けた地域を除いて、仙台のライフラインがほぼ復旧したようだ。
4月4日 南三陸 集団2次避難開始
4月4日(月)、仙台市内の書店(あゆみBooks仙台青葉通り店)で雑誌の入荷を確認。今週中、順次新刊を入荷予定とのこと。書店の雑誌棚が、やっと時の流れを取り戻す。
街は少しずつ回復してきたけど、書店の棚はずっと3月11日のままだった。この後、少しずつ雑誌が回復してきた。
4月7日 仙台地下鉄 29日全面再開
この日の夜は、翌日から大阪へ出かける予定があったので、その準備をしていた。なのに…
仙台。かなり揺れた。電気は無事。水道止まった
23時32分頃、宮城県沖を震源とするM7.1、最大震度6強の余震が起こった。
部屋のものがまためちゃめちゃ
電気が無事だったので、テレビやwebで情報を得ることができたけど、「余震」ってレベルじゃない!と少し憤っていた。部屋はまた物が倒れてめちゃめちゃだし、窓の外からはマンションの各種報知器がけたたましく鳴っているのが聞こえるし、手が震えるし…心が折れそうになった。大阪に行くのを楽しみにしていたけど、大阪行きは無くなったな…と思った。
とりあえず諸々確認のため出社してきます。
出社の途中、近所のマンションがこんなありさまだったので、まずいなと思った。
ということで、一部の地域では停電が起こっていたけど、予想したほどの大きな混乱は無く、安全を確認できたので帰途についた。大阪にも行けそう…でも、大阪に行くには山形空港まで行かなければならない…(仙台空港が使用できないため)。山形までの道路は無事なのだろうか…。
この日、山形空港に着くまで道路は、停電によってすべての信号機が消えていた。山形空港の周囲も同様で、被害の範囲が大きかったことが分かる。写真は山形空港の最寄の信号機。でも山形空港だけは停電しておらず、飛行機は定刻通りに離陸。
4月8日 宮城 震度6強
大阪は、桜が満開できれいだった。余震が来ることも無く、この日はぐっすり眠れた。東北のことを思い、大阪に来ている後ろめたさも少しあった。
4月11日 震災1ヵ月 死者1万3013人
地震から1ヵ月。
4月12日 東北新幹線 東京―仙台間 27日にも運転再開
震災からひと月が経過し、この日はガスが来る!ということで、休みをもらってずっと家で待っていた。ガスの開線に関する情報は、仙台市ガス局のwebサイトで毎日更新されていて、ガスの復旧エリアは前日に公表されていた。4月に入ってからは、毎日、夕方になるとガス局の情報を見ていた。
ひと月ぶりに…やっと…やっとガスが来た!! http://t.co/eqk0Wf1
都市ガスが元通りになることで、生活が元に戻ったことを実感できた。
以上、東北地方太平洋沖地震の発生から1ヶ月(+α)の記録。
この後、仙台では東北新幹線の全線再開や、仙台市地下鉄の全線再開、四十九日、ゴールデンウィーク…といった様々な要素が含まれる「4月29日」をキックオフと位置づけて、様々な都市機能が一段の復興を果たすこととなった。
*1:(今さらですが)地震発生から一ヶ月の記録 http://d.hatena.ne.jp/matsukazuto/20110505/1304569488