mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

オルタナティブ・モダン

連続レクチャー『オルタナティブ・モダン』へ行く@品川インターシティ
5回にわたる連続レクチャーの最終回。ここでいう「オルタナティブモダン」とは「ありえたかもしれないモダニズム」であるという。今までの4回のレクチャーでは伊東豊雄青木淳ら「建築の根本の原理を取り上げている建築家」(五十嵐)を招き、レクチャーを行った。
今回のレクチャーの内容は今まで見てきたようないわゆる「建築家の講演会」とは異なり、例えば後半のディスカッションではそれまでの4回のレクチャーで出てきたキーワード、例を挙げれば「自己生成」(伊東)「構造と構成」(青木)「関係性による全体」(藤本)といったものをカード化したものをパネリストたちにくじ引きのように引かせ、各パネリストがそのキーワードを語ればカードを捨てる、みたいな感じの趣向を凝らしたものだった。
最後には「オルタナティブ・モダンとは○○○である」というパネルをパネリスト4人が提示。
小野田泰明氏はオルタナティブモダンとは「交換可能性をめぐる格闘」だというがこれは興味深い。今まで、ヴァナキュラーな社会とそれに伴う(?)ヴァナキュラーな建築は交換の困難なものであったが、それを交換可能にする(と期待された)のがモダンな社会とモダンデザインだという。しかしグローバリゼーションによる実社会は「モダンな社会」とは異なり「商業化された社会」であり、そこにモダンデザインによる「抽象化」は困難で、結局は「具象」が求められたのだという。そこで、オルタナティブモダンは「交換不可だけど抽象」なものなのだと言っていた(と記憶している)。
オルタナティブモダンについては、五十嵐太郎氏は「ヒエラルキーなきモダニズム」であるといい(スーパーフラットからつながる概念か)、後藤武氏は「そもそも」、金田充弘氏は、矢印が描かれているが、その矢印を組成しているのは細かい線であるような(=ベタ塗りではない)絵を描き、「単純だと思っていたものが複雑だった」と提示。どれもがなるほどなーと思わせる内容で、帰りの電車でいろいろ考えさせられたがそれは本企画の狙い通りだっただろう。

ところで小野田氏は「日本では建築家が社会から閉じている」と海外の誰かに言われたという話をしたが、五十嵐氏もどうやら同じような考えを持っているようで(そう匂わせる発言があったように記憶)この感覚は割と共有されているものかもしれないなぁと思った(私自身もそういう考えを持っているので)。「オルタナティブモダン」ではないけど、私自身は「建築家」がこの先社会に対して(<社会、というのもいやな言い方だけど)どうかかわってゆくのか?という点に興味がある。その観点からすれば、今回も議論に挙がったが伊東豊雄の用いる「海草のような」(SMT)・「木」のイコン(トッズなど)といったものに私は否定的であったが、それが実際に様々な人々とかかわって建築を作り上げるには、またイメージを具現化させるのに有効なんだろうなーと思ったりした。(そういえばこの議論を学部のときに友人のエビス(仮)としたことがあったなぁ、「伊東さんのいう『○○のような』って伝わりやすいよねぇ」みたいな)