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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

建築保存論(1) 建築と情報

銀山温泉の建築郡は大正から昭和初期にできたものだという。これらの建築郡は今日にも通じる普遍的な強度(良さ)を有するからこそ、今もなお愛され、生き続けているのだろう。
そうして、今日の建築とその未来について考えてみる。今日評価される建築が将来もなお評価され続け、例えばこの温泉街の建築のような強度を持ち続けるかというとそれは疑わしい*1。なぜなら、建築/空間に身をおいてみても、空間の良し悪しが素人目には分かりづらいからだと思う。一般の人々に受け入れられず、記憶に残らない建築は、時間と共に消えていく運命にあるだろう。これは今日の建築に限らず、ドコモモにみるようなモダニズム建築も同じことである。
建築は身体的なものである。しかし、今日の建築は情報化され、メディア上での消費を前提としているようである。このような今日の建築は、永い時間の中では生きながらえない。建築のモノと情報という建築の両義性ゆえであり、今日の建築が宿命付けられているともいえるだろう。
思うに、このように情報化された建築を残すことになると、必要になってくるのは個々の建築に対する理解であり、大きな観点からは建築に関する教養であろう(建築が情報化されているからこそ、その建築の情報を得る必要があるといえる)。シンポジウム、対話といった建築保存の「運動」が必要な理由のひとつはこの点にあるように思われる。

*1:温泉街の建築と比較して語るのは違うような気もするけど。「温泉」だしこれは建築というより「街並み」に分類されるだろう。