前々から考えていることを書いておく。
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建築学生なら誰もが知っている吉村順三の「軽井沢山荘」を私は訪れたことは無いのだが、今でも、名作だよなあ、などとふと思う。コンクリートや木の素材感や気持ちよさそうな感じとか周辺環境とか、年を経てもなお古びないところとか、非の打ち所が無い住宅だと思う。
この建築で気になるのは、ちょこんとしたコンクリートボックスの上に木造でキャンティレバーを出すというデザイン手法についてである。なんだかカッコイイし、気持ちよさそうだ。この「RC+木」の手法はなにも軽井沢山荘に限らず、吉村順三のほかの住宅建築にも多く見られる。また、吉村の弟子である宮脇壇も時々用いている(増田別邸など)。
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唐突だが、この手法っていわゆる植民地建築からヒントを得たんじゃないだろうか、などとこのところ思っている。さらにいえば、軽井沢山荘は藤森照信のいう「ヴェランダコロニアル様式」だな、と。ヴェランダコロニアル様式とは藤森の造語であるが、イギリスからの植民者や貿易商人たちが植民地において生み出した、ヴェランダの張り出した住宅の様式である。藤森はヴェランダの張り出したこの様式が生み出された理由を「風土病」と「現地の人の手ごわい反撃」を挙げて説明している。つまり一階を自閉的につくり、二階を居室にあててヴェランダを張り出すことで、熱帯アジアの暑さと風土病を防ぐというのである*1。
この様式はイギリスの植民地であるインドでも、遠くアフリカはエチオピア(アジスアベバ)でも確認することができた*2。例えばエチオピアでは、石を積み上げて一階をつくり(組積造)、二階は木造を乗せている。二階の梁をわたすときに一階の壁面より少し長く張り出し、ヴェランダを形成しているのである。これと同じものを、軽井沢山荘のデザインにみたわけだ。
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以上はただの私の妄想なんだけど、あながち間違いでも無いような気がしている。もしどこかに根拠が求められるとすれば、それは吉村の師であるアントニン・レーモンドかなという気がしているのだが、いかんせん何も参照していないので、何も言えない(調べてから書こうと思ったらそのままにしてしまった)。とりあえず妄想を膨らませてみた。
- 吉村順三 軽井沢の山荘(写真)
http://mirutake.fc2web.com/05/104yosimura/yosimura.htm
- 作者: 藤森照信
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