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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

ワルシャワ―ゲットー跡地、レプリカ、スターリン様式―

ワルシャワを起点にしたのには、予算やスケジュールの都合もあるが、戦争で徹底的に破壊された都市のそれからを見たいという、以前からなんとなく抱いていた意思が大きいのだと思う。ワルシャワに住むユダヤ人が閉じ込められ多くの犠牲者を出したワルシャワ・ゲットーを訪れてみたいとも思っていた。
自動車とトラムが走り抜けるワルシャワの道は広い。おぼろげな記憶に拠るしかないが、何年か前に訪れたロッテルダムを思い出す。両者とも戦争で破壊され戦後に復興した都市で、ワルシャワでは近代的な街並みのもつ無機質な、どことなく寂しい雰囲気を感じる。

ゲットー跡地をを訪れてみると、本当に「何もない」。ゲットーの犠牲者の碑が建つだけで、想像力を喚起させるような痕跡を確認することはできなかった。観光として捉えるならば、訪れる価値は無さそうだ。こうしてみると、広島に原爆ドームを残すことの意味や、あるいは安藤忠雄が青山の同潤会アパートを一部でも残そうとし、レプリカとはいえ残した意味の持つ大きさが分かるような気がする。
しかし、ゲットー犠牲者の碑の向かい側にただ広がっている広場には記念館が建設されるらしく、広場の一角にある、日本人からするとホームレスによるものかと見まがうようなブルーシート*1の仮設建築に、その記念館の建築の図面や案が展示されていた。


このような経緯を踏まえると、ヨーロッパの様々な都市に見られるような、ワルシャワの旧市街を訪れた際に、他の都市とはまた異なる思いを抱くことになる。


この旧市街も、一度はめちゃめちゃに破壊されたものである。それを、住民の記憶や過去の資料などから元通りに復元したという。古いのに、新しい旧市街。いわばレプリカの街。


ワルシャワの街で最も目を惹くのが―目に付かざるをえないのが―ソ連の影響下、1955年に建設された、高さ230メートルの文化科学宮殿である。

ワルシャワ市民からの評判は悪いようだが、ウィキペディアを開いてみると以下のようにもある。

文化科学宮殿建造に当たり、ポーランドの伝統的な建築様式を部分的に取り入れた。記念碑を埋め込んだ壁には、ポーランドの古都クラクフとザモーシチ(w:Zamość)にあるルネサンス様式の宮殿に範を採った石柱などが見られる。*2

私はこのようなスターリン様式の建築を見るのは初めてのことだが、世界各地で見られるのっぺらぼうの超高層建築と比べるととても魅力的に映った。モスクワにはこのスターリン様式の高層建築が7棟あるようだが、主義思想を抜きにすれば、もしこのような建築で摩天楼が形成されたら壮観だろう。それこそ、「都市計画家あるいは建築家としての」スターリンが描いた光景なのだろうけれど*3

参考
ウィキペディア

建築マップ


このあたりをを見てると「ソビエト宮殿の計画」がすごい(参考)。落選したコルビュジエの案がこれ(参考)。