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mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

軽井沢の建築3

建築

軽井沢に滞在しています。

軽井沢はかつての宿場町であるが、今日の避暑別荘地としての発展のきっかけは外国人宣教師にある。カナダ生まれ英国聖公会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが訪れ避暑地として紹介し、外国人を呼んだのがその始まりなのだそう。ショー自らも1888年に軽井沢に最初の別荘を建てていて、幾つかの建築や史料館を巡ると軽井沢の発展の様子がよく分かるが、1880年代末から1900年代にかけて急速に変化してきたようだ。ショー・ハウス(ショーの別荘)に続く外国人別荘、日本キリスト教団、ユニオン・チャーチなどの創立に重なるように、食料品店・衣料品店をはじめとする日用品店等が横文字の看板と共に軒を連ね、旅館は西洋人用のホテルに建て替えられた。まるで横浜など外国人居留地があった土地のような発展をみせたようである。そして今日、東京とその近辺の資本家を中心とした別荘地が植民地のごとく広がっている(というと言いすぎだろうか)。さらにその歴史の上に、プリンスホテルの経営するショッピングモールなど観光旅行者を惹きつける材料が重ねられているのが今日の軽井沢の状況といえるだろう。


日本人の手による西洋式木造ホテル。外国人の利用に始まり、近衛文麿などの政財界人の利用という経過を経て、1945年には進駐軍により接収、1970年に廃業の後、移築され現在に至っている。設計・棟梁・施工全てが日本人によるもので、対称なファサードやプラン、ブラケットや水洗便所など西洋式の特徴が見られるものの、天井を支持する材に化粧が施されていないそのままの材が使われているなどの意匠が顔を覗かせている。

アーチ型のデザイン・構造が多用されているのが印象的だった。

  • ギャラリー桜の木(設計: 中村拓志、2007年)


アーチ状に縁取られた出入口・開口部が特徴的。同日に三笠ホテルを訪れたせいもあるだろうが、中村さんは旧三笠ホテルのアーチを引用したのではないかと思った。アーチというのは開口を補強するために設けられていて、三笠ホテルのアーチはそれが構造体の一部であることから、構造の文節が室の文節を生むことになり、アーチをくぐると異なる質の空間が広がるという効果が得られている。
対して「ギャラリー桜の木」のアーチは構造によるものではなく、いわば設計者の恣意的なデザインであるが、その開口をくぐった途端に室の空間の質が変化する。その点において三笠ホテルの印象に近いものを感じた。さらにギャラリー桜の木で開口が穿たれた壁は薄く、一瞬にして空間の質が変化する。壁面の仕上げも部屋により異なっている。

  • 田崎美術館(設計:原広司、1985年)



原先生お得意のモクモクとしたファサードが見られる、故・田崎寛助の絵画を収めた美術館。天井近くの窓から光が降り注ぐ室内は明るい。軽井沢ではいくつかの美術館をまわったが、多くの美術館で自然光や周囲の環境をうまく取り入れているものがみられた。原さんはこの美術館で日本建築学会賞を受賞している。

  • 市村記念館(設計:あめりか屋、1918年)


近衛文麿が1926年に購入した分譲式別荘を、軽井沢の別荘開発に尽力した市村今朝蔵・きよじ夫妻が譲り受けたもの。「あめりか屋」は大正〜昭和に別荘を設計・分譲していた一企業。和室の窓の下には腰掛けられるよう設えてあったり、和洋デザインの折衷のバランスが素晴らしい。装飾も懲りながらも節度のある小気味良い意匠で、全体とも調和しているように思える。
現在地には1997年に移築されており、この時の記録が記念館内部で展示されている。