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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

松山・三津浜の建築の織り成す風景 −石崎汽船ほか

なもし 建築

松山・三津浜をふらふら歩いた記録の続き。

松山の海の玄関口の一つ、三津浜(三津)には古い建物が比較的残っている。松山が空襲を受けた際、三津浜は戦災を受けなかったからだそうだ。前回触れた「三津駅」はそのような歴史を生き抜いてきた証人といえそうだが、今回は、そのほかの様々な建築に目を向けてみたい。

三津浜港のすぐそばに建つ、石崎汽船本社。木子七郎(きご・しちろう)が設計し、1924年に建てられたRC造の建築である。
設計者の木子は、愛媛出身の新田長次郎の娘婿となったことから、松山の建築を手がけてきた。近代以降の愛媛の建築を牽引したトップバッターだといっていいだろう。代表作といえる萬翠荘(旧久松伯爵本邸、1922年)と愛媛県庁舎(1929年)はともに松山城のふもとに建つ建築で、萬翠荘は「坂の上の雲ミュージアム(設計:安藤忠雄)」が建てられたことで、あらためて光が当てられるようになった。
さて、三津のこの建築はなんとなく通り過ぎてしまいそうな外観であるが、それが大正の建築というものだろう*1。この辺りの時代の建築家の意思は、細かいデザインとなり形式(的)*2となって表れてくる。この建築にも、小振りながらもヴェランダが取り付き、対称形のファサードをしている。大理石張りのカウンターやレリーフには金が掛かってそうだ。
ぱっと見てもよく分からないこの建築だが、いわば当時の最先端なのである。今でも、松山と呉・広島を結ぶ瀬戸内航路といえばこの建物を社屋とする石崎汽船なのだが、当時の海運と三津浜の隆盛を物語る建築だといえるだろう(参考:wiki)。

向かい側に建つ山谷運送社屋も大正の建築らしい(設計者不明)。こちらは石崎汽船よりもよりさっぱりとした印象。

これらの建築2棟が向かい合う様子は三津浜のちょっとした風景のひとつだ。

もっと無名な建物や三津浜の風景にも目を向けてみよう。

港のそばに建つ倉庫。

このようなハイカラ(?)な住宅風建築が幾つか残っている。当時の金持ちが建てたのか。

三津浜商店街。訪れた盆明けの平日には人通りはほとんど無かった。高齢化がかなり進行しているように見受けられた。

商店街に建っていた、2階の繋がった店舗つき住宅。

その1階は飲食店だったので、中でカキ氷を食べた。定食も480円からと安い!ヒョウタンがたくさんぶら下がっている。

そうして商店街を抜けると三津駅にたどり着く。三津浜港と三津駅とはちょうど三津浜地区の両端を示しているといえそうだ。そしてそこにある建築が、三津浜の歴史を目に見える形で物理的に映し出してきたのだが、つい先日、その一端である三津駅の駅舎が取り壊されてしまったというわけだ。

*1:明治や昭和初期なんかの近代建築もついうっかりしてしまう。

*2:様式(的)?