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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

三津駅舎と建築の歴史

四国松山といえばまず挙げられるのが「道後温泉」であるが、私がこのところ注目しているのが松山の古くからの港町「三津(三津浜)」である。
松山市の中心部から外れたこの地区は、その港町としての特徴に注目され、松山市まちづくり活動の根幹をなす「『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想」のサブセンターゾーンのひとつとして位置づけられている。市をひとつのミュージアムと見立て、松山市に関連の深い、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を下敷きに松山の各地を繋いでいこうとするものだが、地元のNPOの三津に根差した活動もあり、松山市民の三津に対する眼差しも少しずつ変化を見せているようにも思える。
これまで何度かにわたり三津の建築などを紹介してきたが、あらためて訪れてみると、なんともいえないのどかな感じが、春の気候とあいまって、漂っているようだった。ノスタルジーなんて言葉で片付けたくないものだが、三津のそこかしこに点在する古い建物などは遠い歴史を想像させてくれる。

対岸までを繋ぐ「三津の渡し」。乗船は無料

三津の入り江の対岸に見える湊三嶋神社
500年の歴史を誇る渡し舟「三津の渡し」も健在で、三津とその対岸の港山(みなとやま)とを今でも毎日繋いでいる。およそ80メートルのこの水上の路線も立派な「市道」なのだそうだ。対岸の港山の麓には湊三嶋神社がある。この山にはかつて山城が存在したそうで、瀬戸内最大規模の水軍、河野水軍の本拠地であったそうだ。


新しい「三津駅」とレプリカ問題

昨年8月に帰省した折に取り壊された、三津の記憶を伝える駅舎「三津駅」も、今回訪れると駅前には新しいロータリーが整備され、新しい駅舎に変わっていた。新しい駅舎は以前建てられていた木造の駅舎を模したもので、建設に際し住民などとの様々なやりとりがあったことが想像されるが、訪れると複雑な思いがした。

旧三津駅舎(1931年?建設)

2009年2月に新築された三津駅
新しい駅舎は一見すると木造にも見えそうだが、コンクリートの上に木造屋根を架構した構造を採っている。デザインは確かに以前の駅舎を踏襲していて、それはファサードのデザインにも見られるし、板の端部を少し重ねて張っていく「下見板張り」をコンクリートで再現したりと凝っているのが分かる。
しかし、私からすれば、これでよかったのかと疑問が残る。レプリカにするなら徹底してほしかったと思うのが正直なところだ。松山市を走る私鉄、伊予鉄道の駅舎建築には他にも道後温泉の「道後温泉駅」があるが、多くの観光客が目にするこの駅も実は昭和末期に再建されたレプリカである。ただ、この建物の場合はレプリカとしての水準が高く、再建された建築からも遠く明治のことを想像することができるように思う。三津駅の場合もこのような配慮ができなかったのかと思うと残念でならないが、再建に際し、そこまで踏み込んだ議論に至らなかったのが実際のところではないか。複雑な思いの原因はその辺りにありそうだ。

道後温泉駅。1986年に、1911年の駅舎を復元した

三津駅の外壁。下見板の細かな段差や木目などをコンクリートを使用して再現