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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

「大倉山アソカ幼稚園」−ふじようちえんに続く、手塚事務所の幼稚園建築

「ふじようちえん」で建築学会賞を受賞した手塚建築研究所(手塚貴晴+手塚由比)が新たに設計した幼稚園が、横浜・大倉山に完成した。

大倉山の山裾にある大倉山アソカ幼稚園は、室町時代に開創された「歓成院」の幼稚園。この歓成院の観音堂は同じ手塚さんの設計した建物で(2007年)、幼稚園はこの観音堂から奥に入ったところに位置している。

ASOKA Kindergarten

幼稚園は、一列に並んだ保育室が2階建てに並ぶシンプルな構成。ほとんどが柱と床スラブだけで構成された、無駄を削ぎ落とした姿からは、ル・コルビュジエのドミノシステムを想起させる。

ASOKA Kindergarten

それはいつもの手塚事務所のスタイルともいえるが、この建築ではその傾向にさらに拍車をかけたような、建築のある原型を提示しているようにも思われた。

ASOKA Kindergarten

しかし、手塚氏はその原型性によりかっこよさを目指したものでなければ、フォトジェニックなものを目指したものでもないように思う。あくまでもこの幼稚園デザインは、園児や幼稚園の先生、関係者といった、この幼稚園を使う人たちに向けられているのではないだろうか。柱などの部材を必要最小限に抑えることは、保育室の両側いっぱいに開口をとることを意図してのことであって、それにより、この幼稚園は圧倒的な気持ちよさ、心地よさを獲得している。

ASOKA Kindergarten

これまでにも手塚氏の設計した建築を幾つか訪れたが、住宅にしても幼稚園などの公共的な建築にしても、「気持ちよさ」「居心地のよさ」の追求という点でブレることはない。一見するとシンプルで、なんだか簡単に設計されたような印象を受けるかもしれないが、設計者はその快適性のために―例えば、柱を少なくしながらいかに構造上「安全に」設計できるか―といったことについて延々と議論やスタディを重ねてきたのだろう。この幼稚園のシンプルな造形はその帰結であろう。



ASOKA Kindergarten
遊戯室


ASOKA Kindergarten
屋上庭園。手前はイモが植えられた畑。


ASOKA Kindergarten
屋上庭園もただ芝生を生やすだけでなく、木が植えられている。

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ふじようちえん
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横浜・大倉山の建築について。「歓成院観音堂」など。
妹島和世「大倉山の集合住宅」
大倉山にある妹島さんの集合住宅の写真。

黒川紀章『円錐の秘密』―愛媛県新居浜市の建築(2)

愛媛県総合科学博物館

新居浜愛媛県総合科学博物館。設計は黒川紀章(1994年)。

Ehime Prefectural Science Museum

Ehime Prefectural Science Museum

Ehime Prefectural Science Museum

Ehime Prefectural Science Museum

ガラスの円錐は太陽光を取り入れ、夜には光を放つ。このボリュームはエントランスであり、また、円錐内部を取り巻くスロープが、展示室間を移動する人の動きを可視化させている。黒川作品に多用される「円錐」には様々な意味や機能が込められているが、円錐を使うようになったのはこの愛媛県総合科学博物館の頃からだろう。晩年の黒川建築の特徴である。黒川は亡くなる直前に、「円錐」について次のような詩を残している。

円錐の秘密

円錐は神の幾何学か。
水平の断面は
ニュートンの円軌道。
傾斜の断面は
コペルニクスの楕円軌道。
天空を刺し
天空へと消える幾何学
寺院の頂に冠された鉛の円錐。
サンクトペテルブルグの円錐。
街のスカイライン
黄金のスパイアー
長距離弾道の狂気。
円錐の秘密。
円錐は神の幾何学か。
Urin Toju 黒川紀章 『詩1−アドニスから手紙が来た−』(2007)
*1


新居浜農業協同組合会館

新居浜農業協同組合会館(1967年)は、「坂出人工土地」を設計した大高正人の作品。建物の裏手にある倉庫も大高がデザインしたのだろうか。1966年に開館した「旧大分県立図書館」で磯崎新がみせた「切断」のデザインを想起させる。


*1:Urin Tojuは黒川紀章ペンネーム。

「カフェ・ラ・ミール」と「別子銅山記念館」―愛媛県新居浜市の建築(1)

お盆休みは愛媛に帰省。実家のある松山から一走りして新居浜を訪れ、いくつかの建築を訪れた。


新居浜

にいはま、と読む。新居浜は江戸時代に別子銅山が発見されてから、住友家が開発を進め、住友化学など住友グループ各社が生まれた企業城下町であり、瀬戸内海沿岸の工業都市のひとつ。海沿いを少し走ると工場が並んでいる。


別子銅山記念館

別子銅山記念館」は新居浜の山のふもとに位置している。別子銅山の歴史を紹介し、資料を展示する資料館で、設計は住友本店臨時建築部を起源にもつ日建設計、施工は住友建設(現・三井住友建設)と、別子銅山を基に発展した住友グループ各社の手で設立されている。


Besshi Copper Mine Memorial Museum
この花壇のような物体が建築なのである。このサツキの下に2層(1層は半地下)の展示室が広がっている。神社の境内に位置するため、半地下にしてボリュームを抑え、屋上に植物を施すことで神社全体の調和を意図したのだろう。景観への配慮や屋上緑化という概念が30年以上も前に実現されていることに驚く。


Besshi Copper Mine Memorial Museum
山の斜面になだらかに連続するような外観。


Besshi Copper Mine Memorial Museum
エントランスへのアプローチ。展示室は屋根の傾斜にあわせた2層のレベルで構成されている。薄暗い室内は銅山の内部のようで、銅山では多くの工夫が事故で亡くなったりしたんだろうな…などと考えながらうろついていると、この建築がさながら工夫の墓のように思えてきた…。



Cafe La Miell

別子銅山を後にして、新居浜の市街地に入る。

Cafe La Miell
新居浜のカフェ・ラ・ミールは谷尻誠さん(Suppose design office)が設計したカフェ。オシャレなカフェとして地元でも有名らしく、昼過ぎに訪れると駐車場は満車。4時頃にはお客さんも一時的に少なくなったけど、夜になるとまたいっぱいになるらしい。


Cafe La Miell
三角形の外観。傾斜した鉄筋コンクリートのフレームを掛けただけの単純な構成。屋上は割栗石を敷きこんでいる。


Cafe La Miell*1
内部は地上レベルと半地下のレベルの2層の構成となっていて、単純ながら多様な場が生まれている印象を受ける。


ふと気付いたのは、この建築が「別子銅山記念館」と同じような構成を持っているということだ。立地環境は異なるが、両者とも三角形の断面とそれにあわせた2層の構成であり、外観のデザインも建築とランドスケープの一体化を意図したものとして類似性が指摘できるだろう*2
ラ・ミールの設計において谷尻さんが別子銅山記念館を参照されたかどうかは分からないが、似たような構成を持つ建築が、かたや資料館、かたやカフェとして同じ新居浜市に存在することが面白く思えた。さらに両者は同じような構成をとりながらも、一方は環境との調和を意図し、もう一方は「三角カフェ」と呼ばれる親しまれているように建築の形態が商業施設のサインとして機能していて、それぞれ全く異なる様相を呈しているのである。
いずれにせよ、どちらもすばらしい建築だと思った。

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参考

*1:内部は特別に許可を得て撮影しました。

*2:誤解されると嫌なので先に言っておくと、別にパクりだとか指摘する意図はないです。そもそも全くのオリジナルの構成を持つ建築なんてまずありえないですし、「カフェ・ラ・ミール」の完成度の高さは、何か別の建築を模倣して成立するものでもないでしょう。