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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

本のメモ: デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』

2015年に出版された『新・観光立国論』(デービッド・アトキンソン著)は、外国人旅行者が増加し、消費の拡大による「爆買い」という言葉が定着した一年を表すような一冊だと思った。

 著者の主張と論旨は明確である。人口が減少する日本においてはGDPを維持するだけでも困難だが、そのような状況下で成長を目指すには「観光立国」により外国人の旅行者を増やすことが合理的であると説く。人口減少下においては移民が効果的であるが、移民政策の困難な”島国”日本では外国人旅行者=「短期移民」が重要だという。


以下に概要をまとめておこう。

日本は「気候」「自然」「文化」「食事」という観光立国の4条件を満たす国であるが、これまでに観光立国・観光産業に力を入れてこなかったことからも伸びしろがあるという。

また、訪日外国人客の特徴を分析すると、訪日数の多い台湾、韓国、中国はそれぞれテーマパークや食事、ショッピングへの関心が高い。一方、ヨーロッパやオセアニアからの訪日数は少ないが、観光における支出額が大きく、日本の文化や歴史への関心が高い。

これは訪日観光客を「外国人」とひとくくりにして見えてこないことであるが、観光立国にはそれぞれの国ごとに求めているもののセグメンテーションとそれによるマーケティングが必要で、その際に「多様性」(ダイバーシティ)はひとつのキーワードとなる。多様性を認識した上で観光コンテンツを細分化し、整備してゆくことが必要で、例えば日本に少ない”超高級ホテル”もそのひとつである。

その中で著者は「顧客」を明確化してゆき、ターゲットを「伸びしろが大きく、支出額が大きい」ヨーロッパやオセアニアからの観光客(=「上客」)に定めてゆく。そして、日本の文化や歴史への関心が高い、ヨーロッパやオセアニアからの観光客を増やすための方法として、まず手をつけるべきは「日本文化の体験」や「神社仏閣という歴史的資産」の整備、つまり「文化財」の整備だと説く。

日本は文化財にかけられる予算も小さいが、世界的に見れば日本の文化財が「地味」であり”ただそこにあるだけ”という状況になっていることからも、現状では不十分である「説明」や「ガイド」が重要であり、魅力を伝えていくことが大事だという。「稼ぐ文化財」というスタイルは日本の文化財に合うのではないかとしている(これは文化財の保存のためにも重要)*1

 2015年6月28日読了

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

デービッド・アトキンソン 新・観光立国論

 

 

*1:このあたりについては、表紙にも「イギリス人アナリスト」と紹介されている著者が国宝や重要文化財の修復を行う日本の施工会社の社長を務めていることにも留意しておきたい。

二度目の愛媛マラソン

先月の話ですが、2月7日に愛媛マラソンを走ってきました。二度目の愛媛マラソン。ランニングのポータルサイト"RUNNET"で人気投票1位にもなったことがあり、1万人が走る全国でも人気のマラソン大会です。

愛媛マラソンのコースは、松山の中心である松山城の「城山公園」を起点に、坊っちゃん列車の汽笛を聞きながらのスタート。途中、約40mの高低差のある通称「平田の坂」を上り下りしたり、松山市北部の旧北条市では遠くに瀬戸内を眺めたりして、また松山城の足元まで戻ってくる。そんな感じです。


青い線が往路約20キロ、赤い線が復路20キロ。ほぼ同じところを行って帰ってくる感じです。


私の場合、マラソンを走ると、練習の過程も含めてその土地への愛着のようなものが芽生えてくるんですね*1……で、松山市の北部、旧北条市のエリアが過半を占める愛媛マラソンでは、どうしてもこの北条のエリアが気になってくる。
さらに、ほとんどが幅員の広い国道を走るコース中で、生活のにおいを色濃く感じられる集落中を走るのもこの北条。沿道に応援の山車(神輿?)や太鼓が出てきてチンドンやっていたり、北条沖に浮かぶ「鹿島」へきれいに引かれた軸線上を走るということもあって、なんとなく、北条の街の歴史とか、文化なんかに思いを馳せるような……地味ではあるけれど、走りながらもそういう体験を得られるのがここかなと。松山の人でもこのエリアをわざわざ訪れる人も決して多くはないと思うんですが、そういうフィールドワークや観光的な意味合いを兼ねるような部分もまた、マラソンの面白いところだと思うわけです。

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正面にこんもりと見えるのが、北条沖に浮かぶ「鹿島(かしま)」

もちろん1万人が走るような市民マラソンとなれば、県外からの参加者を獲得するような「観光」としてのマラソン(コース)、という位置付けも無視できないわけですが、観光の目玉である「道後温泉」はコースに入っていません。ランナーには参加賞として道後温泉の入浴券を配られるんですが、それでカバーしている感じでしょうか。まあ、マラソン→温泉、というのも悪くないですね。現実的には、道後温泉本館沿いをコースに含めることには困難が想像できます。

そのような観光的な観点では、新宿をスタートして東京タワーや銀座、浅草まで巡る東京マラソンや、東田第一高炉跡や門司港などを巡る北九州マラソンなどは観光資源を巡るルートとして面白そうです。かつて走ったことのある仙台国際ハーフマラソンは5月の大会でしたが、コース序盤の「定禅寺通り」の並木道の新緑が鮮やかで、かつここで仙台の"雀踊り"を行うなど、祝祭性にあふれる空間として準備していました。愛媛マラソンは対外的な評価も得ていますが、そのあたりにはまだまだ工夫の余地があるように思います。

*1:同じような経験をお持ちの方も多いんじゃないかと思うんですが。

藤村龍至 講演会 「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」

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11月21日(土)は香川・高松にて建築家 藤村龍至さんの講演を拝聴。テーマは「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」。香川建築士会若手建築士研鑽事業

いやあ、おもしろかったし勉強になりました。

ざっくりといえば、まずは戦後日本の建築史を参照しながら、丹下健三と金子香川県知事の関わりなど交えて、建築家が社会のニーズや思想にあわせてどのように建築を手掛けてきたか、という点について説明。そしてWindows95の販売や阪神淡路大震災の起こった1995年というターニングポイントを経て、現在とこれからの「縮小時代」がどのような建築を求めているのか、といった視点から、現在の建築や、藤村さんご自身のプロジェクトを紹介するといった内容。


講演の内容はtogetterにまとめられているのでご参照を。
http://togetter.com/li/904054

 

藤村さんの建築とその思想は、1995年をターニングポイントとする「個人のリーダーシップ」による建築から「集合的に考える」建築へという時代の変化に応じたものということなんだろうけど、それが「鶴ヶ島プロジェクト」「大宮東口プロジェクト」などのプロジェクトとして、また大学での建築教育としても成果をあげていることが理解できた。藤村さんの「超線形設計プロセス論」に代表されるようなブレない理論・思想には過去から批判的な意見も多く聞かれたけれど、しっかりと結果を残されているんだなと。

ご自身の手がけるプロジェクトには民間のものもあるけど、あらためて、藤村さんの方法論は公共建築・公共政策との相性がいいように思った。例えば講演の中でも、新居千秋さんが大船渡市に「リアスホール」を設計するにあたって市民ワークショップを54回繰り返したという方法について触れられていたように、建築のつくられ方にも変化が生じている。それは公的なプロジェクトにおける合意形成のあり方が変わってきたこと、そのトップダウン型による進め方の難しさも示しているように思う。

もうひとつ触れられていたのは、教育について。大学で教鞭を執る建築家であるプロフェッサー・アーキテクトとしての役割の変化についても論じられていたが、それもまた上述のような時代や方法論の変化に応じた取り組みを実践されているようだ。私自身、学生の時に(といっても10年以上前の話)、建築界、あるいは大学の建築設計の課題における作品・作家主義的でタコツボ的な評価のあり方に違和感を覚えていたのだけど*1、藤村さんが2010年に教育の場にも身を置くようになり、その中で建築への新たな評価の仕組みを考え、実践されていることは非常に興味深く捉えた。例えば、一学年約180人という学生に建築・設計を教育するにあたり、提案される模型の縮尺を統一して並べて見られるようにし、上位者を10人に絞るプロセスも公開して学生に見せてゆく、等。学生とともに取り組む「鶴ヶ島プロジェクト」をはじめとする集合的・段階的な計画/設計のあり方は、このような教育なしにはなしえないものだと思ったし、このような教育を経た東洋大学をはじめとする学生がどのように実務の社会に出ていくのか、そうして藤村さんのいう「これからの建築家像」がどのように更新されていくのか。そのあたりは引き続き注視したい。

時代の変化にあわせて建築を取り巻く環境も変わり、「建築」と言っても、リノベーションや公共空間・まちづくりといった分野への拡大や、あるいはPM/CMや建築家との協働…等々の職能も確立されつつあるように見える。これらはある意味で建築界の外部から新たな地平を切り拓くアプローチともとれるんだけど、藤村さんの取組みは愚直なまでに「内部」から、既存のフィールドを変えてゆく試みであるように受け取った。講演をお聞きする感じでは、それはかつて丹下健三が担った役割を上書きする試みとも受け取れた。そこに「これからの建築家像」、さらに「これからの建築像」といったものの一端が見えたように思った。

 

1995年以後~次世代建築家の語る建築

1995年以後~次世代建築家の語る建築

 

 

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以下、講演会の中で触れられたことに関するメモ。



大学教育については、芦原義信さんらが東大で教えていた70年代は、例えば柱のスパンといった実務的な内容を主に教えていたそうだが、あるときそれが行き詰まって現在行われているような設計の講評のシステムができたという。現在の大学教育における講評のシステムの成り立ちについてはあまり考えたことがなかったが、それが有効だとされ、変化が生じたことがあったということ。
 
思い出してみれば、藤村さんが2000年代前半運営されていたウェブサイトで扱っていたビルディングタイプも「学校」だったはず。藤村さんの社会や公共に対する関心が一貫されているんだなと、あらためて。
 
香川大学で建築の授業があり建築が教えられているということを知らなかった(これは香川大学の学生による質問で気付いた)。

 

<朽ちる日本、朽ちる東京>について。アメリカでは世界恐慌後、1930年代のニューディールにより様々なインフラが整備されたが、それが1980年代になって朽ちていったという。1960年代に急ピッチで都市インフラが整備された日本ではそれが2010年から2020年代にかけて一斉に生じてくるだろうという。

*1:その意義も理解できる/できたし、それはそれで面白いけれど、どこか現実とは乖離しているようなゲーム的な感覚がぬぐえず、このゲームに心血を注いでよいものか、とも考えた。