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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

Cappadocia トルコ・カッパドキア

深夜、シンガポールチャンギ空港を発ち、さらにドバイを経由してイスタンブル着。トルコでの滞在日数は長くないので、チャンギ空港でネット購入しておいた航空券でカイセリへ向かう。1時間ほどで到着し、すぐさま乗り込んだバスは荒涼としたアナトリア高原を走る。

カッパドキアの拠点の一つ、ギョレメのオトガル(バスターミナル)で降りると早速変な岩が迎えてくれる。カッパドキアアナトリア高原の火山活動によってできた地方を指す名称であり、町の名前ではない。

約50km南にあるエルジェス山の火山活動によって火山灰や溶岩が推積し、それが長年に渡り侵食され、摩訶不思議な奇岩が形成されている。7世紀後半にはイスラムの迫害を避けた多くのキリスト教徒が住み着いた。当時の洞窟教会や修道院などの巨大地下都市は、ギョレメ野外博物館で見学することができる。また、世界遺産にも登録されている。*1

カッパドキアでは気球によるものなど様々なツアーがありどれも魅力的だったが、ギョレメで足を借りてひた走ることにする。以下、ギョレメ、ウチヒサール、ネヴェシヒル、カイマクル、ウルギュップ、オルタヒサル、そしてまたギョレメへと戻るまでのカッパドキアを巡る行程。約75km。
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ウチヒサール。一枚岩からなる天然の城塞。

ネヴシェヒル。この辺りで一番大きな町。

ギョレ。ネヴェシェヒルからカイマクルに向かう途中で道路脇に聳え立っていた丘。かつて丘に穴を掘って住んでいた人々は、その下に集落を作って住むようになったようだ。


カイマクルの地下都市。一説によれば紀元前7-8世紀にまで遡る地下都市。地下15〜25mに設けられているらしい。中は狭く、方向もよく分からない。住まいや貯蔵庫、家畜小屋などから成り、ここでワインもつくられていたようだ。通気孔も設けられていて、資料を見るとこの通気孔は地下水脈まで掘り下げられているようだが、なるほどそうして貫通させることで通気するわけだ。住居といわれてもピンとこないが、人間は住もうと思えば住めるもんだ。個人的にはヨーダの家*2を思い出した。

ウルギュップ辺りの奇岩。火山より噴出した火山灰が堆積し、侵食の早いところと遅いところというそれぞれ異なる地質があることでこのような奇岩が生まれる、ということなのだろう。



オルタヒサル。砦の足元に広がる村の家々がとても興味深い。ここも恐らく岩を掘って住居をつくっていたのだろうが、その横にレンガを積み上げて部屋を作っている。人工物と自然物の調和をみたように思った。




チャウシン辺りの丘の上から。もうおなかいっぱいです。



そして再びギョレメへ。ギョレメは観光地化されているが、岩のすぐそばで、岩を利用し岩と共に営まれる生活はやはり興味深かった。

一応、個人的に印象的だったことをまとめとこう。

  • 自然物と人工物の調和

自然は素晴らしく、また建築など人工的なものも時に感動を呼びおこす。カッパドキアの奇岩はそれだけでも魅力的なものだが、そこに人間の営みが重ねられ、かつその両者が互いを排他せず調和するところに感動をおぼえた。

  • 時間を長期的に捉えるということ

ものが生まれるという観点でみると、建築は通常数十年、せいぜい100年、長くても数千年というスパンの時間の中で捉えられる。侵食や堆積といった地学的な長期的なスパンで捉えると、通常見る地形だけでなく、カッパドキアの奇岩のようなものも生まれうる(他に、鍾乳洞なども挙げられるだろう)。

  • 人は地下にも住める



そういえば宿で出会った二人の日本人はどちらも建築学生だった。ひとりは今年度に卒業設計を控えている学部生、もうひとりは就職活動を控える大学院生。彼らがここで何を考えたのか、とか様々なことを話し、そのときの自分を思い出したりしてなんとなくせつなくなったりしたギョレメの夜だった。
ちなみに安藤忠雄さんはこういうことを記している。

カッパドキアの世界は、予想をはるかに越えて美しく、そして、力強かった。
やっぱり、その地に立ってみないと分からないものだ。*3

*1:引用:http://travel.biglobe.ne.jp/abroad/spot/IST006s.html

*2:スターウォーズ エピソード2』より

*3:安藤忠雄『旅』p126, 住まいの図書館出版局, 1989年