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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

イスタンブルを歩く

ギョレメから夜行バスに乗り込み、再びイスタンブルへ。休憩のためにところどころで停まると、隣に座った兄ちゃんにお菓子や車内においてあるジュースを入れてもらったりなにかと親切にしていただく。バスに乗り込んで約11時間、朝焼けの中にイスタンブルの近代的な街並みが現れてくる。
イスタンブル。ヨーロッパとアジアに跨り、それぞれの歴史が重ねられ、入り混じった街――そう聞いただけで気分は高揚してくる。年表を見て整理しとこう。

B.C.667 ギリシャ人によりビザンティオン建設。

  • ローマ時代

A.D.196 ローマのセプティミウス・セヴェルスが征服。
330 首都をローマからコンスタンティノープルに遷都。

1453 メフメット2世コンスタンティノープル征服。ビザンティン帝国滅亡。

  • 共和国時代

1923 トルコ共和国成立。オスマン帝国消滅。*1
大雑把に捉えるとキリスト教文化にイスラーム文化が重ねられたといえるのだろう。建築史ではおおまかにこのローマ時代のものをビザンティン建築オスマン時代のものをオスマン建築と考えてよい。

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イスタンブルに着いて早速、宿の近くにあるスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルー・モスク)、アヤ・ソフィア、トプ・カプ宮殿などの集まる歴史地区、スルタンアフメット地区を歩く。ブルーモスク、アヤ・ソフィアはやはりイスタンブルを象徴する建築である。

トプ・カプ宮殿はそれらとは異なり、個人的にはさほど印象に残らなかった。建物ひとつひとつは小ぶりで美しく装飾も凝っているが、建物の配置が偏心的で、象徴性や権力を感じなかったからだろう。偏心的な配置は、起伏のあるイスタンブルの地形を生かしたといえるのではないかと思った。まるで日本の庭園や伽藍の配置を見ているようでさえある。

日本的、という観点でみるとトプ・カプ宮殿の向かいに位置するイスタンブル県庁(かつて屋敷だったらしい)の門に「てりむくり」(参考)の意匠が見られたのが印象に残った。いつ建ったのか分からないが、日本の大工でも連れてきたのではないかと想像させられる。こういうデザインって日本固有のものでもないのかな…。

トプ・カプ宮殿を後にし、トラム乗り数分でエミノニュで降りる。イスタンブルで一番面白かったのはこの辺り。橋をはさんだ向こう岸には新市街の街並みとガラタ塔が聳え、後ろを振り返るとそこにはイェニ・モスクとミマール・スィナンの設計したスレイマニエ・モスクが重なりあう。傍では多くの人々が釣竿を海に放り投げ、時折、汽笛と共に船が現れ、人々が行きかう。チューイング・ガムを売る初老の男性、釣り人のおこぼれを狙うカモメたち…。



イスタンブルのモスクでは、これらイェニ・モスクとスレイマニエ・モスクがカッコイイと思った。それぞれ、1616年再建、1555年の建築。ブルー・モスクも同じ時期の建築である(1557年)。16世紀はオスマン帝国が絶頂期を迎えた時期でもあり、その様子が建築にも認められるということだろう。(写真はイェニ・モスク)

モスクって一言でいっても世界各地に様々な形式がある。イスタンブルで見たモスクはドームと半ドームを乗せた複合ドーム型で、鉛筆形ミナレットを伴う近世オスマン型。例えばエジプトでは分節形のミナレットを伴うモスクが見られた(ガーマ・アブル・ダハブ、1774年、カイロ)*2

イスラームをキリストと何でも対比するのは良くない傾向だとも思うが、キリスト教のゴシック教会と違い多くの開口から光が落ちる実用的な(うまい表現が見つからないが)宗教建築であるように思われた。
また、全てのモスクはミフラーブという壁の窪みを持つが、ミフラーブはイスラーム教徒の世界の中心、メッカのカーバ神殿を向く。広域的に捉えると、イスタンブルのモスクもそれぞれメッカの方角、つまり南東を向いているのが分かる。このような視点で配置や都市計画のある部分が決定されることは興味深く思われた。

イスタンブルを歩き回っている間は日中に飲食をしないラマザンの期間中であったため、日中のトルコ人はやや疲れ気味であるように思われた。一日中イスタンブルを歩き回った後、スルタンアフメットの宿に戻る途中で午後7時が訪れ、アザンが鳴り響くと途端に街の飲食店には長蛇の列ができ、ブルー・モスク前の広場では人々が一斉に食事を始めた。急に街の表情が変わる様子もまたイスタンブルの魅力だといえるだろう。

*1:参考:イスタンブール年表 http://www.aicat.org/aicat/turky/history.html

*2:モスクの類型や意匠については深見奈緒子の著書に詳しい。深見奈緒子『世界のイスラーム建築』講談社現代新書、2005年