mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

藤村龍至 講演会 「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」

f:id:ida-10:20151205020703j:plain

 

11月21日(土)は香川・高松にて建築家 藤村龍至さんの講演を拝聴。テーマは「縮小時代の建築家像-ソーシャル・アーキテクトをめざして-」。香川建築士会若手建築士研鑽事業

いやあ、おもしろかったし勉強になりました。

ざっくりといえば、まずは戦後日本の建築史を参照しながら、丹下健三と金子香川県知事の関わりなど交えて、建築家が社会のニーズや思想にあわせてどのように建築を手掛けてきたか、という点について説明。そしてWindows95の販売や阪神淡路大震災の起こった1995年というターニングポイントを経て、現在とこれからの「縮小時代」がどのような建築を求めているのか、といった視点から、現在の建築や、藤村さんご自身のプロジェクトを紹介するといった内容。


講演の内容はtogetterにまとめられているのでご参照を。
http://togetter.com/li/904054

 

藤村さんの建築とその思想は、1995年をターニングポイントとする「個人のリーダーシップ」による建築から「集合的に考える」建築へという時代の変化に応じたものということなんだろうけど、それが「鶴ヶ島プロジェクト」「大宮東口プロジェクト」などのプロジェクトとして、また大学での建築教育としても成果をあげていることが理解できた。藤村さんの「超線形設計プロセス論」に代表されるようなブレない理論・思想には過去から批判的な意見も多く聞かれたけれど、しっかりと結果を残されているんだなと。

ご自身の手がけるプロジェクトには民間のものもあるけど、あらためて、藤村さんの方法論は公共建築・公共政策との相性がいいように思った。例えば講演の中でも、新居千秋さんが大船渡市に「リアスホール」を設計するにあたって市民ワークショップを54回繰り返したという方法について触れられていたように、建築のつくられ方にも変化が生じている。それは公的なプロジェクトにおける合意形成のあり方が変わってきたこと、そのトップダウン型による進め方の難しさも示しているように思う。

もうひとつ触れられていたのは、教育について。大学で教鞭を執る建築家であるプロフェッサー・アーキテクトとしての役割の変化についても論じられていたが、それもまた上述のような時代や方法論の変化に応じた取り組みを実践されているようだ。私自身、学生の時に(といっても10年以上前の話)、建築界、あるいは大学の建築設計の課題における作品・作家主義的でタコツボ的な評価のあり方に違和感を覚えていたのだけど*1、藤村さんが2010年に教育の場にも身を置くようになり、その中で建築への新たな評価の仕組みを考え、実践されていることは非常に興味深く捉えた。例えば、一学年約180人という学生に建築・設計を教育するにあたり、提案される模型の縮尺を統一して並べて見られるようにし、上位者を10人に絞るプロセスも公開して学生に見せてゆく、等。学生とともに取り組む「鶴ヶ島プロジェクト」をはじめとする集合的・段階的な計画/設計のあり方は、このような教育なしにはなしえないものだと思ったし、このような教育を経た東洋大学をはじめとする学生がどのように実務の社会に出ていくのか、そうして藤村さんのいう「これからの建築家像」がどのように更新されていくのか。そのあたりは引き続き注視したい。

時代の変化にあわせて建築を取り巻く環境も変わり、「建築」と言っても、リノベーションや公共空間・まちづくりといった分野への拡大や、あるいはPM/CMや建築家との協働…等々の職能も確立されつつあるように見える。これらはある意味で建築界の外部から新たな地平を切り拓くアプローチともとれるんだけど、藤村さんの取組みは愚直なまでに「内部」から、既存のフィールドを変えてゆく試みであるように受け取った。講演をお聞きする感じでは、それはかつて丹下健三が担った役割を上書きする試みとも受け取れた。そこに「これからの建築家像」、さらに「これからの建築像」といったものの一端が見えたように思った。

 

1995年以後~次世代建築家の語る建築

1995年以後~次世代建築家の語る建築

 

 

―――

以下、講演会の中で触れられたことに関するメモ。



大学教育については、芦原義信さんらが東大で教えていた70年代は、例えば柱のスパンといった実務的な内容を主に教えていたそうだが、あるときそれが行き詰まって現在行われているような設計の講評のシステムができたという。現在の大学教育における講評のシステムの成り立ちについてはあまり考えたことがなかったが、それが有効だとされ、変化が生じたことがあったということ。
 
思い出してみれば、藤村さんが2000年代前半運営されていたウェブサイトで扱っていたビルディングタイプも「学校」だったはず。藤村さんの社会や公共に対する関心が一貫されているんだなと、あらためて。
 
香川大学で建築の授業があり建築が教えられているということを知らなかった(これは香川大学の学生による質問で気付いた)。

 

<朽ちる日本、朽ちる東京>について。アメリカでは世界恐慌後、1930年代のニューディールにより様々なインフラが整備されたが、それが1980年代になって朽ちていったという。1960年代に急ピッチで都市インフラが整備された日本ではそれが2010年から2020年代にかけて一斉に生じてくるだろうという。

*1:その意義も理解できる/できたし、それはそれで面白いけれど、どこか現実とは乖離しているようなゲーム的な感覚がぬぐえず、このゲームに心血を注いでよいものか、とも考えた。