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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

内子、酒六酒造と建築物の保存

内子の街並みの成立について

愛媛の伝建地区である内子へ。愛媛の重要伝統的建造物群保存地区は、この内子(八日町護国)と宇和町卯之町の二カ所が選定されている。

内子は製蝋で栄えた地区で、江戸後期に考案された技法により製蝋が産業化し、明治中期に最盛期を迎えている。しかし、大正時代に木蝋が西洋蝋に地位を譲ることで、産業は一気に衰退。一気に栄え、そして一気に衰退したことで、この製蝋の栄えた時期の伝統的な建築群が残ることになった。そのため、伝建地区に残る多くの建築は江戸後期~明治期のものであるようだ。

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 内子の街並み。クランク状になった「枡形」が見られる。

 内子に残る建築物の中でも、重要文化財としては、製蝋で財を成した芳我家とその分家を含めた、「本芳我家住宅」「上芳我家住宅」「大村家住宅」の三件が、2015年には木造の劇場である「内子座」が指定された。

 

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国の登録有形文化財である旧下芳我邸(明治)。「下芳我家」というおそば屋さんとして使用されている。

 

内子・酒六酒造

内子駅のすぐ近くには、日本酒「吹毛剣」で知られる酒蔵・酒六酒造がある。酒六酒造は大正9年1920年)に創業し、それから建てられた建物を今でも使用して酒造りが行われている。

建物は外周をぐるりとまわるだけで状態が悪いことが分かったが、話を聞くとやはり雨漏りが生じているようで、内部では雨漏りを防ぐために手を加えている様子が見て取れた。

 

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酒六酒造(1920年・大正9以降の建設)。煙突は赤レンガ造イギリス積。

 

ここで代表の武智さんにお話を伺うことができたが、建物の保存についてあらためて考えさせられる内容だった。

武智さんは「先代が伝えてきた酒を残す」ことを重要視しながらも、内子の蔵元が合併して誕生したという、その歴史を物語る「建築」を残したい、と述べる。しかし、L字の平面形をもつ建物の一辺の長さは30間を超えるような規模であるため、少し手を加えた程度では根本的な解決には至らない。しかし、まとめて修繕しようとすると億単位の費用がかかってしまう。

駅から見える煙突はランドマークとしても映えるし、個人的にはこの建物が残ると良いとは思う。しかし、この規模の酒造りでそれだけの投資をすることが困難であることは容易に想像が付く。


建築を残すということを考えるとき、建築物の公共性(public)と私性(private)について思いを巡らすことがある。建築物は所有者のものでありながら、それが目にされるようになった途端、公のものとしても振る舞うからだ。例えば、外部の人間が建築物の保存の声をあげることはできるかもしれない。しかし、それは建物を考えようとしてもそれ単体で考えら れるものでないことは明らかで、その建築物の私性を勘案した事業性と両立した視点に立脚しなければならないだろう。当たり前のことではあるが、そのことをあらためて考えさせられた。