mezzanine

開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

長谷川逸子「松山・桑原の住宅」



愛媛県松山市の郊外住宅地にある長谷川逸子さんが設計した住宅を訪れた。
松山には長谷川さんが設計した建築がいくつか残っている。徳丸小児科をはじめとした80年頃のものが多く、この「松山・桑原の住宅」もそのひとつだ。この住宅は、施主が徳丸小児科を見て長谷川さんに設計を依頼したのだという。(四国の一都市でこうした連鎖反応が起こったことは面白い現象だが、これはこれでまたあらためて考えてみたい)
長谷川さんのこれまでの作品を俯瞰してみるとパンチングメタルに代表されるように金属を用いた作品が多いので、竣工時が最も美しく時代と共に淘汰されてゆく、という問題を孕んだ建築をつくる人だ、と思っていた(これは長谷川さんに限らず現代建築と切り離せない問題であるが)。
そうした先入観があったため、訪れてみて驚いたのは、もちろん中に入れていただいたわけではないので危ない言いかただけど、今でも住宅が生活の場として生き続けている、ということだった。
松山から横浜に戻って読んだ本の中に、この住宅の現在の様子が施主の話と共に掲載されていたが、竣工以来、外も中も全く手を入れていないのだという。インテリアも撮影用に手を入れたのだろうということを差し引いても、竣工後27年以上とは思えない凛とした表情を保っていた。むしろ、住み続けたことで得た強度が加味されているようだった。
そして、こうしたことを個人に帰するのはあまり好きではないのだけれど、建築がどれだけ生きるかというのは施主や住み手との関係の問題だとあらためて思った。

建築について生きるとか死ぬとか考えていると、建築って犬猫みたいにペットのような側面もあるかもしれない、と思えてくる。建築家やその作品を気に入って依頼したのなら、もちろん建築家はそれに応えるのが仕事だけど、施主も建築を一度気に入ったのなら飼い続ける責任もある、と。ある犬種が一時期だけ流行って、それに乗じて飼って、飽きたら捨てる、みたいなことも起こっているわけだ。