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開発業者勤務(東京・仙台) → 四国松山へUターン。建築・都市・街・不動産・観光などに関するメモ。

五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市』ほか

最近の斜め読みの本の斜めメモ。

建築界に議論を呼んだ東京・日本橋の移設に関する話題について書かれた「景観を笑う」をはじめ、各誌で記された著者の都市景観や「美」に関する文章をまとめた本。五十嵐さんの議論は納得できるところが多いけど、なんか、大学入試の小論文の課題文に取り上げられそうな感じ。それだけ<美>というものがある側面のみによってのみ語られることが恐ろしいことということか。
でも景観に関する話より、押井守イノセンス論や平壌記が面白かった。広告のあふれる日本の都市が醜い都市というなら、広告も無い平壌は美しい都市ではないか?という皮肉とか織り込むあたりにニヤリ。

美しい都市・醜い都市―現代景観論 (中公新書ラクレ)

美しい都市・醜い都市―現代景観論 (中公新書ラクレ)

コルビュジエアドルフ・ロースを取り上げ、近代建築が写真、美術館といったマスメディアをいかに利用したか、みたいなことが丁寧に記されている。コルビュジエの建築をコミュニケーションや社会の文化との関係で語った本。もう一回丁寧に読もう。コルビュジエとメディアについては、↓に続く。

マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ

マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ

鈴木了二さんによるコルビュジエのメディア戦略に関する話が面白い。まだ建築学生だった頃聞きに行って、すごく印象に残った講演の一つでもある(『マスメディアと近代建築』を読んで、鈴木了二さんの講演を思い出したので購入)。コルビュジエの出した雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』やコルの作品集について、その写真の配置や編集の仕方一つ一つについて丹念に解説し、コルビュジエがいかにメディアを利用していたか、という語りに目からウロコ。コルビュジエの描いた絵に関する批評や考察も、スーラやピカソなんかも引き合いにしていて興味深い。
鈴木了二さん以外の話もなかなか。確か八束さんだと思うけど、学生がミースはともかくコルビュジエに興味を持つのがよく分からん、というのは同感。同じ文脈で語れると思うけど、鈴木洵さんが「コルビュジエの建築は家」と言ってたのが興味深かった。批判もあるだろうけど、ミースが建築を概念的につくろうとしたのに対し、五原則とか概念的なものを出しながらも、コルが大きな建築も住宅のように身体性を大切につくってきたと理解。

リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」

リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」

  • 「建築雑誌」2006年12月号(日本建築学会)

今年の「建築雑誌」は装丁がかっこよくなったし取り上げるテーマ一つひとつも興味深いんだけど、雑談で終わってしまう座談会ばかりでイマイチ踏み込めない感じが今ひとつだった。でもやっと面白い話が出たな、と思ったのが今月(もう遅いけど)の特集「中国」。現代建築について中国が取り上げられるようになったのは最近の話でもないけど、中国建築市場の現状について、日⇔中、個人⇔組織それぞれの視点から座談会やインタビューが組まれている。まだ「中国ってチャンス!」って思ってる人がどれだけいるか知らないけど、中国もこれだけ競争が激しいとどうよ、って人は読んでみるといいんじゃないかと。

モナ・リザシスティーナ礼拝堂の天井画など4つの絵画について、様式、イコノロジー、イコノグラフィーなどの方法論を用い、丁寧に読み解いた本。
ところで、建築家が難しいことを言うことについて「建築家って難しいことばかり言うから嫌いだ」と拒否反応を示す方がいらっしゃるが、その現象についていちおう理解できるつもりだ。同様に、絵画を見て、いい絵だと感じればそれでいいじゃないか、という立場も分かる。でも、建築を含む美術には奥深く読み解いていく(読み解ける)楽しさと自由があるし、権利もある。そしてそれは美術の別の側面である、とも思う。そういうことをあらためて考えさせられた。

イメージを読む (ちくま学芸文庫)

イメージを読む (ちくま学芸文庫)


それでは皆さんまた来年。今年もあと残り僅かですが、どうもありがとうございました。
年始に松山に帰る予定です。道後温泉に入ってゆっくりしたい。